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Day 345 どうせバレてる。外面と素のギャップ

この日記マガジンの毎日投稿もあと20日で一年。一年でマガジンは終了するつもりなので、そこに向けて変化のラストスパート。

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自分のまわりには、うまく行ってそうに見えてるのにお金がピンチとか、人気者なのにめちゃくちゃ孤独を感じてるとか、一見と違う人がたーくさんいる。その人たちは人格的に問題はぜんぜんない。むしろ、かわいらしかったり、まじめだったり、親切だったり、頼りがいあったり、と尊敬できる美点の持ち主たちだ。

私も、尊敬できる美点の持ち主ですと言い切れる自信はないけれど、たぶん一見とはずいぶん違うはず。

その違う方がホンモノ、つまり素だったりするわけで、その一見とホンモノのギャップのせいで自由にホンモノを発揮できず上手くいかなくなったりする。

一見のほうのキャラでずっと売ってきた人、信頼を得てきた人はホンモノさらすのはそりゃ怖い。実際、さらしたらどっとお客さんが減るかもしれない。人が離れるかもしれない。

でも、本当の本当に近くにいる人たちにはホンモノの自分はとっくの昔にばれていて、一見のほうもホンモノの方もまるっとひっくるめて受け入れてくれていたりする。

むしろ、ポンコツだと思っているホンモノの自分を愛してくれている。

オープンマインドで、初めましての人がすぐうちとけられるムードで誰とでも仲良くなる人は、その性質のせいで自分が考えなしに動いてしまって繊細な人を傷つけることがあると思っていたりする。

でも、そういう人が繊細になってしまうと、そのオープンマインドに救われている人たちはむしせろ困ってしまう。繊細さは別の人のホンモノなので、その人が上手に発揮してくれる。でもオープンさは発揮できないのだ。

オープンマインドな人は繊細な人を見て、自分はがさつだなと感じるかもしれないけれど、繊細な人はオープンな人を見て自分の心は狭くてちっさいな、と感じているかもしれない。あんなふうにオープンになりたいなって。

自分のダメだなと思っているホンモノは人から見たら長所。

ホンモノを発揮して、悲しさや挫折や孤独を見せて、情けなさをさらしたら、それを愛してくれる人たちが集まってくるはず。たぶん。

それでも人は一見を作ってしまうものだから、そういうカッコつけるところもホンモノの一部と自分が受け入れてしまえば、カッコわるさもまた魅力になる。人から見たらぜんぜんかっこわるくないんだけどね。


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