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くにづくりFES @広島

このGWはLES WORLDのくにづくりFESに参加してきた。前泊含め4泊5日が濃すぎて、なんだか、1週間たったんだなという感じの今。日常にもどってポツンみたいなことを感じる瞬間あるかもだけど、くにづくりに参加する前より確実に変わっているよねという言葉を残しつつ書き始めようと思う。
なにから書こうというかんじだけど、なんとなく文字におこして残しておきたい。そう思ったので、noteをひらいてみた。”自分の過去に向き合う”というので別でnoteを書いたことはあったが、こういう形で発信するのははじめてだ。


一番に湧き上がってきたこと。

一番印象に残り、心がうごいたのは、
「出逢ってくれてありがとう。出逢えてよかった。生まれてきてくれてありがとう。生きててくれてありがとう。」とこんなにたくさんの人に、本当に気持ちを込めて伝えてもらったことってないな。うれしかったな~🤗😘ということだった。
私には、心の支えになってくれる人がこんなにもたくさんいる。愛してくれる人がいる。出逢ってくれてありがとうと思ってくれる人、生きててくれてありがとうと思ってくれる人がいる、生まれてきてくれてありがとうと思ってくれる人がいる。そんな感覚だった。
WS(特にBIRTH本番前)やくにづくりFESの家族での最後の時間は、ほんとにずっと涙があふれていた。

人生の旅路でいま、変化がおきているタイミングということもあり、参加しようとなった時点で、あまりブレーキはなかったんだけど、本当に参加してよかった。参加するという選択・決断をしてよかったと思う。きっと、これから振り返った時にもそれを感じるのかなとも思っている。そして、ちょっと話はそれるけど、自分のつらかったこととか過去のことを話すにも、だいぶ軽やかになったなって思う。

くにづくりFESの4日間、自分自身に向き合ってつらくなる瞬間もあった。だけど、うけとったものが大きすぎて、言葉にならないものがたくさんあった。


自分は生きてていいのか、自分に価値はあるのか、
人のことが信じられなくて。でもそんなことを思ってしまう自分も嫌で。
学校でも家でもそつなくやっている(こなしている)けれど、居場所というか安心できる場所・自分はいなくて。

そんなことをおもっていた人生だったんだけど、
ここ1年くらいで、人生に変化が起きていて、これまでの人生の歩みがあったから今があるんだって思っている。そして、その人生があったからつながれている人、つながれているものごとってたくさんあるなって思う。それが、くにづくりをとおしてより深みが1段と、というか2段も3段もましたという感じがしている。
なんだか、ひとりじゃないんだよってもう一人の自分が言っているような気もする。
いままで、愛を感じられていなかったと思っていたけれど、生きていることって奇跡の結晶(命をつないで産んでくれて、今生きてることって尊いことなんだななどなど。)なんだなっておもって、なんだか、少し愛をかんじられたような気もしている。これって、自分の中では大きな変化だなとも思う。



『BIRTH』

実は、今回「BIRTH」という曲を1つの柱に1つの作品を国創りのメンバー117人でつくるというのがあったんだけど、最初はとても複雑な気持ちでした。いい曲だなとおもいつつも、上記のように人から(特に両親から)愛されるというのがわからなかった私にとって、素直にうけとれない自分・思いをのせきれない自分がいました。
あらためて言葉にしてみると、表現ということへの苦手意識(表現そのものもだし、自分を出すというより我慢して場を取り繕うみたいな潜在意識みたいなところ?)、未知、覚えきれていない不安感、自信のなさもあったし、愛されていない、好きなことや得意なこと、やりたいことはありつつも、家族というのを考えたときに、自分の存在価値がわからないそう思っていたからかなと思う。
そこから、4日間を過ごし、
表現WSとして綺麗にみせるじゃなくていい、動きが正確とかそれが大事なんじゃなくて、思いをのせることが大事と伝えてもらったり、歌詞をかみ砕いてWSをうけていくなかで(アルケミストとか2日目の朝のシェアとか、手紙を書いたり、だきしめてもらったり、誕生学とか空手もろもろ)心に響いて、BIRTHがだんだんと好きになって、思いを込めることができた。そして、いまでは、周りの人への愛、周りの人からの愛という部分もそうだし、自分自身が自分の最高の味方になれるそんな部分を感じてお守りのように言いきかせていたりもする。最高・最幸だなって。

きっとこれからの人生で葛藤もあるだろうけれど、BIRTHがあることで、くにづくりで感じたことを思い出せる気もして、それもあって、いまでは、BIRTHがだいすきだ。

そして、BIRTH本番、大地を感じてつくれたことは本当に伝説だなっておもう。その瞬間をつくるひとりになれてよかった。



「君の居場所」

「君の居場所」についても一言ふれておきたい。今回のくにづくり参加することを決めて、lineでながれてきてはじめて、きいた曲だった。
君の居場所は、初めてきいたとき、心にしみわたって感動していた。だけど、自分の過去に向き合うのがこわくてというかなんか胸騒ぎのようなものを感じていた。なんならいまでも感じる。だけど、この歌から感じたことをなにか私なりに伝えることができたらとの思いでステージに立つことを決断した。決断してよかったなと思う。
振り付けにこめてるおもいをきいたり、曲にひとりひとりがこめる思い、これまで辛かったこととかをわかちあっていくなかで、どんどん、歌もダンスも魂をこめたいと感じるようになった。
そして、おもいが届けられたかってわからないけれど、これからも、孤独を感じ苦しかった人に、私は私の思いを届けていきたい!!っておもった。
寄り添うことはできても、本当にわかってあげられる人って数少ないかもしれない。だけど、本当に心から寄り添っていける人もいる。そんなことを思ったのであった。

 そして、余談にはなるけど、自然と必要なものってなんだろうって動くことができるのが私だなって思う。雰囲気が暗い時によっしゃ!いこう!って士気をあげていくみたいなことだったり、常にってわけじゃないけど、つらそうにしている人にすっとあゆみよったり。そうすることで、生きる場所をみつけようとしていたというのは大きいとおもうし、感性豊かな私(ここ数年、本当に実感する場面が多い)はそれで自分自身が苦しい・辛い・疲れてしまうってことがあったんだけど、もしかしたら、ギフトなのかもしれないし、素敵なことだなって思う。そして、なんかこんなことを考え・思いを巡らせながら、いままでの選択・出逢い・経験が私を形作っているとあらためて強く感じるのであった。エネルギーもらった、笑顔がすてきというのも、ものすごくたくさんの人に声をかけてもらった。きっと、これもいままでの私があるからなんだろうなって思う。でもそれは、悲観的にではなく、これが自分という風に今はうけとっている。今回のくにづくりに限らず、いろんなところでいわれるな~とも思う。芯がある・ピュア・全力(一生懸命)っていうのもいろんなコミュニティとかでいわれるな~。いろんなところで言われるからこそ、嬉しいなって思う。
なんというか、また違うかもしれないけれど、これまでの人生をわかちあっていけてる人がふえてきていて、無理してない自分がいるのもなんかうれしいなと思うこの頃。


生まれ変わり続ける

 4日間のWSをとおして伝えてもらったことでもある、生まれ変わり続ける。WSの作りこみやメッセージの核にあったものということもあってか、不思議と生まれ変わり続けるを味わっている自分がいた。先述のように、思いをだんだん込められるようになったというのも大きいだろう。
 非日常の場の力はあったと思うけれど、3日目の朝エンパシートークをしたときとか、夜の時間に話したりする中で、自然と生まれ変わり続けているといえる自分がいた。一定数、知っている人もいる中で、なんだかどう表現したらいいんだろうというのはあったけれど、それでも生まれ変わり続けている自分がいるなとも思った。それこそ、殻を破るみたいなのが、すごくあったな。その経験って絶対に活きるといわれたのも印象にのこっているな。
場面というかエピソードとしてはいっぱいあるように思うけれど、その一つがLES WORLD LIVEでのオープンマイクだったり、ミュージカルなのかなとも思った。
緊張するけど、なんかステージには立ってみたいとLIVEの募集の頃はおもっていた。だが、しかし、まさかオープンマイクでステージに立つとは思ってもみなかった。しかも女々しくてで。嘘やろって思うかもしれないけれど、普段カラオケすらいかないし、自分が好きな曲はうたったりするけど、友達がうたうときは、知ってる曲かつノリのいい曲うたっていたら口ずさむか、かるく歌うくらいな私が、ちょっとの勇気でステージに立ったのはなんかすごいなっておもう。でも、あの環境だからできたことだなって感謝もしている。
そして、ミュージカル。初挑戦だったけど、ステージ上ですごく生き生きと表現している自分がいるなと思った。緊張はあったけど、ほどよい緊張感でたのしかったな。
あ、あと、WSの合間のお昼の時間のことなんだけど、子ども好きだなって実感する機会もありました。仕事としても日々、子供に接しているのはあると思うけれど、お昼の時間だったにも関わらず、寄ってきてくれた子供と短い時間だったけど、結構本気で遊んでました。お昼だからではなく、直観で遊んでいたところにある種の殻を破るがあったのかなとも思っています。そして、なにか子供を引き付ける力というかそういうのをもっているのかな~とも思いました。


お金のいらない国

 最初、なにしようではじまったお金のいらない国。だんだんとはなすなかで、これやりたいとなり、その中の一つ、ホットサンドをつくってふるまうをやりました。自分が好きなこと、できること、得意なことってなんだろうってところを考えて、かつお客さんに喜んでもらえて、多くの人と関われるのってなんだろうって考えて、いきついたのがあの形でした。自分自身もみんなのお店めぐりたい、感じたいとおもって時間としては3時間のうちの半分くらいお店をやってという感じだったけど、
 食べ物ということもあり、みんなの反応がよくて、本当に喜びをかんじられた。完売御礼で、しかも食べたかったというひとも+aでたくさんいて、おいしいという幸せな顔、ありがとうという気持ちが伝わってきたときは私も本当に幸せだった。他のお店にいながら、いい空間だなと見つめてもらえていることも幸せだった。食品というので、準備が大変だったのはあるけど、数は少ないながらにホットサンドを野外の場で何回か作ったこともあり、キャンプが好きな私だからこそ届けられた、うけとれた醍醐味があったんだろうなとHappyがあふれている。今回をきっかけにホットサンドメーカーを自前で買ったので、家でもつくろうとホクホクしている(笑)




最後に

なんだかんだつらつらと書いてきて、まだ、ここにうまく表現できていない、落とし込めていないものってあるけれど、
私が今回うけとった、出逢ってくれてありがとう。
それを、ここまでよんでくれたあなたにも、ここまで書いてきた自分にも伝えたい。
出逢ってくれてありがとう。生きててくれてありがとう。

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