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あの時、風が変わりましたね(やり直そうと決めた時の事)

今日から10月ですね、肌寒いと感じる朝、ウオーキングのコースを変えました。

そして、1999年から続けている日記に基づいて、私の今を作る元になった出来事を振り返ります✨



2003年ある夏の日

私たちは喫茶店にいました。

数年前から、下降の一途を辿っていた夫の事業がいよいよ回らなくなり、膨大な借金を抱えてしまいました。そんな私たちを見かねた実家の父の計らいで、天理教の法律相談に頼り、自己破産したのです。 

その数日間の日記は空白だったので、裁判所に行ったのかどうかも、よく覚えていないのですが、裁判の後、話し合いを、と入った店での事です。

すべて終えてお礼を言った後、弁護士さんから尋ねられました。

「ところで、ご夫婦はどうですか?」

私は、結婚して20年余り、夫の浪費と、面倒なことは全部人にやらせて、自分のしたことの後始末もできない性格に嫌気がさし、裁判所に提出する書類さえ自分で作ろうともしなかったことにも腹を立て、もうこれ以上は、この人とは無理だと思っていたので、離婚を決意し、同居の義母と子供達、実家の両親に話して了解を得て、離婚届も用意していました。

「それが、もうダメなんです」

そう言ったら、弁護士さんの横におられた法律相談の先生が

「実知さん、それは教えにはないで」

と言われたのです。

私には、その意味がすぐにわかりました。天理教の家に生まれ、幼い頃から父に「徳を積め」と言われて育ち、当時はその意味が理解できずに反発しながらも、成長するに従い、教えの肝心なところは胸におさまってきました。

女は「つなぎ」と言われて、言葉づかいや、行いで相手の心をつなぐ、縁をつなぐ、あらゆるものをつなぐような心でいるようにとの教えです。自分から切るなどという事はもっての外であるという事なのです。

子供の頃から、実家に縁があり、私のこともよく知っておられたその先生は、にっこり笑いながらそう言われたのです。

そして、ご主人はどうですか?

との問いに

「俺は、両親が離婚して、子供には同じような思いをさせたくないと思っていたから、一度も離婚など考えた事はなかった」


夫は、私には言わなかった本心を話したので、驚きました。

私たちは、会話がうまくできない夫婦で、私はいつも夫に対する不満があったので、言う事は文句ばかり、夫は面白くないので、ろくに返事もしない、または、逆ギレする、そんな訳でお互いの心のうちを話すことなどほとんどなく、こんな話を聞いたのは初めてだったのです。


話は遡りますが、

一月ほど前に、夫の妹が私たちの苦境に助け舟を出してくれて、義母を引き取ると言ってきました。義母は妹にお金を貸してくれるように頼んでいたのでしょう、心配した妹はお金を貸す代わりにその話を持ち出したのだと思います。私は自分が精神的に楽になると思ったので、子供の事も、義母の気持ちも考えずに、裕福な妹の家に行けば、お金の苦労もなく、大事にしてもらえるからと説得しました。

妹は看護師をしていて、旦那さんは会社で役職についていて、子供は2人、毎年海外旅行に行くような、余裕のある暮らしをしていて、母親のために家を借りてもいいとまで言ってくれていたのですから、家にいて、貧乏暮らしするよりは、お金の心配のない妹の家に行ったほうが楽にきまっている、と。

嫁と姑の、よくある話は我が家でも同様にあり、私は義母を受け入れられませんでしたが、子供たちをとても愛してくれている事は認め、感謝していたので、夫と会話がなかったその頃は、義母を頼りにしていました。義母は、自分の息子の事を、育て方が悪かったのだと悔やみ、2ヶ月くらい前に首をつって死のうかと思ったけどやめたことがあったと言いました。

それを聞いて、愕然としました。

私はなんて冷たい人間だったのだろう、私は間違っていた・・・もっと家族の心を知らなければ・・・義母は子供の頃は裕福で、私がここへ来るまでも、来てからも自分の思うままに生活してきた・・・ところが今のどん底の生活は全く許容範囲を超えているんだ、死にたくなっても当然だ、と思いました。

私たちは、泣きながら話をして、本当は行きたくなかったのだろうけれど、新しい生活への希望もあったのかも知れません、義母はもう帰ってこないつもりで、遠く離れた妹の家に行ったのです。

見送るときに義母は

「ヨシオを頼むで」

と涙を浮かべて浮かべて言いました。当然ながら、義母は息子の事が一番心配だったのです。

今思えば、亡くなった時もそうだった。いくら孫が可愛くても、義母にとって一番大事なのは、息子だから、あの時、夫が帰ってきたのを確認したように息をひきとった。夫はあることがあってから義母をずっと避けていて、一緒に暮らしていても、ほとんど会話もせず、義母が亡くなる前に3ヶ月半入院した時も、一度も病院にも行かなかったけれど、義母は夫の事を最も愛し、気にかけていたんだ。

義母が妹の家にひきとられてから、何故かそれまでろくに口も聞かなかった夫が少し優しくなり、普通に会話ができるようになった時


「義母がいなかったらうまくいくんだ」


と思いました。それまで義母がしてくれていた家事を全部私がするようになり、昼休みに帰って子供たちにご飯を食べさせたりして、そんな生活が楽しかったのが不思議でした。

その頃の日記にこんな風に書いてありました。

8月24日

「私が今まで見ていたのはヨシオさんのマイネス部分、人はみんなたくさんの面を持っている。神様はそのままでいいよって言ってくださっている。だから、何も望まない、あるがままでいい、やる気が出なくてできない時もある。教えてもらってないから気づかないこともある。やる気のある人、できる人がやればいい。人によって得意分野は違うのだから

私はなんて幸せなのだろうって思う、幸せに生きられる心のあり方を知っている
神様は全ての人に平等に手を差し伸べてくださるのだから、感謝して、感謝して、ただ感謝して生きて行こう。夢を描いて、必ず、大きな幸せを手にするから!!」

離婚届を用意していたけれど、自己破産の為の全ての書類を提出して、生活は苦しかったものの、何かに追われることも、何かをしなければならないという恐れもなく、心には希望があったのです。

「それは教えにはないで」

と言われたあの先生の笑顔と言葉に

ふと

「やり直そう」

と思えたのです。

あの時の事を、その法律相談の先生は、

「あの時、風が変わりましたね」

と言われました。

あの時、離婚していたら、義母は、妹の家にずっといて、私と心を通わせる事もないまま、私が看取る事はできなかったかもしれない。

娘に「お父さんとお母さんを見て結婚したいと思ったんやで」なんて言ってもらえなかっただろう。そう思うと、あの先生の一言は、神様が言わせてくださったのだ、と思うのです。優しいあの先生が風と言われたのは、神様が来られたって言う意味だったのです。

人のいう事を聞かなかった私は、いつでも相手が悪いと思い、夫に

「お前のせいでこうなった」

と言われても、反感を持っただけで、反省することも知らなかった。

お姑さんが出て行ってから気づいた。お姑さんの言った事を思い出し、夫の気持ちを考え、子供たちを辛い目にあわせてしまったと。こんなことになったのは、全て自分のせいだった!

あの時、先生の言ってくださった

「それは教えにはないで」

の一言を、素直に聞いたから、それからの人生が変わっていった。そんな風に思います。それからもいくつかの試練はありましたが、その度に、自分の何が間違っていたのか、を考えるきっかけを与えられたのです。全てのことは自分に原因がある。そう思ったら、落ち込んでいる暇はありません。

前に進むだけ!!

この記事を書くきっかけになった、こちらも良ければ、読んでください😊

最後まで読んでいただきありがとうございます✨

ミーバーでした\(^o^)/


#あの会話をきっかけに


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