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片耳難聴のわたし「不便だけど、よかったこともある」

片耳が聞こえないことで日常の中で不便さを感じることは多いが、片耳が聞こえなくてよかったと思うこともある。

日常生活のなかで、障がいをもつ方やご高齢の方にお会いしたときのことだ。

何度も聞き返されたり、上手くコミュニケーションが取れなくて困ってしまうことがある。

戸惑うことは常だが、何か自分が工夫することで相手をラクにできないかを考えることがそこまで苦ではない。

それは、だれもがなにかしらの障がいをもつ存在であるのではないかという考えがあるからだ。

目に見える形である場合も、そうでない場合もあると思う。

もし私が片耳難聴でなかったら、そこまで今のように考えることはできなかっただろう。

いつからだろう。

どんな人でも他者には知り得ない困難を抱えているものだ。

そんなことを頭の片隅に置くようになった。

自分とは違う他者がその人にしか分からない困難を抱えているかもしれないということを想像できなければ、相手に配慮した行動はできない。

特に世代が異なる人や文化が異なる人とコミュニケーションをとるときには、他者への配慮が必要だ。

最近、「多様性」という言葉をよく耳にするようになった。

多様性という言葉は、しばしばさまざまな文化や人を認めるという意味で捉えられがちだ。

本当は「相手を知ること」や「自分の理解の枠を超えた存在に触れる」という意味あいのほうが本質である。

相手を知ることから「多様性」のある社会は生まれてくるのではないだろうか。



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