「滅多なことを言ってはいけない」

 「滅多なことを言わないよ」という言い回しがある。「滅多なことを言うな!」と戒める言葉である。しかし、単語を切り分けて見ていくと、意味がよく分からない。
 「滅多」とは何か。「滅」は「破滅」とか「滅亡」とか言うように、失くなることを意味する漢字だろう。「多い」ものが「失くなる」のだから、「少なくなる」それも「失くなってしまいそうなほどに少なくなる」ことを意味するのだろう。
 「滅多にないこと」「滅多にない機会」というように、希少性を表す言葉でもある。また、希少性の高いものごと、機会について肯定的にとらえていることも読み取れる。珍しいもの、普段お目にかかれないものをありがたがっているというわけだ。
 そう考えると「滅多なことを言わないよ」という警句は「あなたが話題にしていることは、珍しがって、面白がるようなことではないよ」という戒めであることが分かる。つまり、肯定的な意味づけの言葉を否定形で用いることで、ただ否定するよりも強いニュアンスを出したいわけだ。
 言葉は分節で区切られるから「滅多なこと」を用いた表現のバリエーションが可能であるはずだが、「滅多なこと」は「言ってはいけない」という言葉とセットでなければ意味をなさない。つまり「滅多なことを言ってはいけない」という言い回しは、その意味を特化された決め台詞であることになる。
 それが慣用句と言ってしまえばそれまでだが、単語の意味や文法をいくら確認したところで、それだけでは納得できない言い回しというものがある。語学の学習をする上で、そういうことも知っておくと多少慰めになって勉強もはかどるかなと思う。
 ところで「ありがたい」という言葉も、「有難い=なかなかない」という意味だから、「滅多なこと」に近い気がする。しかし、「有難いことを言ってはいけない」などとは言わないし、「滅多にないことです」とお礼を言ったりもしない。「滅多にない」の場合、偶然そのようなものがもたらされているのに対し、「ありがたい」だと、その結果に対して、誰かの意図が反映されているところに違いがあるのだろうか。そもそも「ありがたい・ありがとう」が、なぜ感謝の言葉なのか、言葉通りの意味を拾っても、やはり分からない。そのような場面で使われているとしか言いようがないのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?