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ゆっくりいそぐ。

今、実は初めて鹿児島に上陸している。夜に大事な自己紹介があったはずなんやけど、1分でちゃんと言いたいこと言えてるかなぁ、と少し心配しながらこれを書いている。自分の思考の整理もかねて、残しておいてもいいかなと思うから、今の自分ってどんなこと考えてるのかなーっていうのを書いておこうと思う。

今夜が終わったら、こっそりリリースしよう。


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始まりは、What can you do?(あなたは何ができるの?)ではなく、What kind of person are you?(あなたはどんな人なんだろう?)であってほしい。


今までの勉強や仕事でやってきたこと、できることもそれなりにある。興味関心の幅もそれなりに広い方やと思う。でも、そういう「私のできること」が最初のきっかけになるのではなくて、「お、こいつなんか気になるな」が始まりであってほしい。
もう少し違う言い方をすれば、「○○ができる人を見つけたい!」ではなく、「みやのんと一緒に何かしたい!」というのがスタートであったらいいなと思う。

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前者の場合では、「○○」へのニーズが満たされて、もう必要ないや、となった時、私のいる意味も同時になくなってしまうのではないか、ということが怖いのかもしれない。(もちろん、そうでない場合も多数やとは思うけど。)
後者のような気持ちがスタートにある場合なら、きっと、比較的長い目で見て関係性を築いていけるような気がしている。そして何より、私を「全体のうちの1パーツ」としてではなく、私「個人」として見て、お付き合いをしてもらえることは、実は日頃からもやもやと考えながら心に湧き上がっている、ひとつの憧れであったりもするから。



納得感を持って進める道を、常に模索したい。


心と身体がチグハグになった時、私はきっと辛くなる。これは見方によっては社会人として甘い考え方なのかもしれへんけど。

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幼稚園の頃、犬が飼いたくて飼いたくて仕方なかった時期があった。マンションは犬猫禁止という決まりがあって、仕方ないと親になだめられていたけれど、ある時、越してくる前から飼っているケースは許されるということを知った。大人の事情なんて知らないから、幼心に「それっておかしい!」と、マンションの管理組合宛に、抗議文を提出。(今思えば、親もよくそれを見守ってくれたな、とありがたく思う。)
細かい内容は覚えてないけど、確か、どういうルールを作ったら犬猫を飼っても大丈夫かを書き連ねてたような気がする。たぶん、それが一番初めの、「納得感のある道を模索すること」だったのかもしれない。

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教員免許はあった方が保険になるから良い、と親に言われながら、教師になる気がないんやからもっと違う時間の使い方をする!と決めた大学時代。

英語や国際文化のフィールドで学んできたのやから、ずっと憧れていた英会話の先生の道を選ぶかと思いきや、最後の最後で全く未知のプログラマを選んだ就活。

お金を稼ぐための仕事、と割り切るのではなく、自分の進みたい方向により近づける道を選んだ転職。

この今のもやもやも、やっぱり自分の進みたい方向に近づく道を模索しているからであって、以前友人から言われた「みやのんは、一生、もやもやが止むことはないんだよ、きっと。」という言葉は、真であるなあと思う。本当に。



ゆっくり、いそげ。フェスティナレンテ。


これは私が尊敬する方が書いた本のタイトルで、実は自分の人生のテーマはこれなんちゃうか、と思うくらいに、救われていることば。

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企業の利益と社会貢献、仕事と趣味、生活と理想、みたいな、ぱっと見、両得が難しそうなことも、どっちかを選ぶという選択肢ではなくて、どっちも得られる道を模索したい。

「ここで暮らしたいなあ」と言うと、今の仕事はどうするのか、向こうで何をするのか、奨学金を返して貯金をして、将来の準備をしながら生活を成り立たせることができるのか、すぐに地元に帰れる距離でもなくなるし…
なんて、いろいろな心配が取り巻く。

そんなに社会は甘くない。
この言葉も、何回言われたやろう。

でもね、たぶん私は、自分の違和感にそっと目を閉じて忘れることができる器用さはなくて、うまくごまかす嘘は苦手。
心と行動のちぐはぐに、次第に侵食されていってしまうようなイメージがある。

だったらもう、泥臭くても、自分のありたい方向に進むしかなくて、ウンウン唸りながらであっても、たぶんそっちの方が、心は健康なんやと思う。

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さらに自分のありたい生き方に近づいて行くために、模索を続けるその先に繋がるヒントが、今回の2日間の中で見つかるような気がして、私は今ここにいる。

どっちかじゃなくて、どっちも。
だって、自分の人生は誰のせいにもできひんし、自分で納得いくようにしていくしかないんやから。



たたいた先に。


「石橋を叩いて渡る」という言葉があるけれど、私はずっとそのタイプなんやと思ってた。(し、周りからもそう思われることが多いと思う。)
でも最近、そうじゃないのかもしれへんなあ、と。

石橋を叩きはする。でも実は、叩いてみて叩いてみて、どんだけ叩いてみていても、最終的にはその橋を飛び越えてしまう。そんなタイプなんちゃうかなぁと思うことが増えた。

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いつ飛ぶか、は時間の問題なんよね。たぶん。

進む先に見える景色が、大好きな地域であって、そこの人たちに「この人と一緒に何かしたい!」と思ってもらえるような、お互いが笑顔でいきいき過ごしている将来がイメージできるような、そんな出会いになったらいいなあ。



2019.10.04@鹿児島県
南九州移住ドラフト会議 前夜祭の前に。

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