見出し画像

【音楽・風習等に色濃く残る思い出たち】人はいつだって過去の風習に思いを馳せる

「既読が付いたかもわからないメールで、Re:Re:Reと続いていくあの感じは今の子にはわからない」
「時代はヒップホップかもしれないけれど、やっぱロックだよな」
「ビデオテープを巻き戻して録画するエモさ今の子にはわからないだろ」

人は世代や風習が変わりつつあるときに、こうのようなことを言う。
それはまるでその行為自体を懐かしんでいるようで、本当はそうじゃない。

いつだってそこにあるのは、思い出だけ

青春時代に毎日のように聞いた曲を耳にすると、一気にその時代に戻ったかのような気持になることがよくある。

きっと、かつての風習に思いを馳せるのも、それをしていた頃の思い出に浸っているのだと思う。

好きな子と緊張しながらメールしていたあの頃の思い出
ロックに熱中しながら過ごした青春時代
見たいもののために一生懸命録画したあの頃の思い出

次世代の子たちに向かって、たった1つ前の世代の人が言い張る「君たちにはコレがわからないだろ?」は、たぶん何かが違う。

いつだって根本は何にも変わらない

私たちより数世代上の方にはよく「固定電話にかけるしかなかった時代や気持ちをお前らは知らないんだよな」と言い聞かされた。

年上の方がそういったことを若い人に言い聞かせるときに何も疑問に思わなかったのだけれど、同世代が冒頭の

「既読が付いたかもわからないメールで、Re:Re:Reと続いていくあの感じは今の子にはわからない」

を口にした時に、私の中で何かが引っかかった。
きっと、昔の人が言った<固定電話の思い出>と<メールの思い出>は同じなのだと。

この言葉に隠されてるのは「その気持ち、お前らにはわからないよな。」じゃなくて、「あの頃のあの思い出が懐かしいな」なんだ。世代によって少しずつ不随するものが変わっていくだけで。

現代のどんな行為が、未来の思い出を引き出すカギになるのだろう

きっと現在のデジタルネイティブの子たちも、将来の次世代キッズたちに「私たちの時代はね」とかって言うのだろう。

現代の、どんな行為・風習がその対象になりえるのだろう、と想像するとワクワクする。

「平成最後の夏」というフレーズに無駄に勇気づけられて、はっちゃけたこととかなのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?