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こんな大人になりたい

最近、社会人になったらこんな大人になりたいとふと考えることがある

「客観視できる大人になりたい」

年を重ねて人生経験が多くなってくると、自分の経験したことや知識から
「これは良くないよね」とか、「これはこうあるべきだよね」という自分の中での正解や不正解が湧き出てくる。

まだ21歳の私でも、大学の最年長にあたるが故に、
後輩に対して
「就活はこうした方がいいよ」とか、何かと自分の考えを押し付けがちになってくる。それがおそろしい。

でも、実際のところ、
この世の中にはほとんど正解不正解は曖昧なもので、
自分が正解だと思えば正解、不正解と思えば不正解というように、
全ては人間の判断に委ねられている気がするのである。

だからこそ、私が後輩に
「〜すべき」とアドバイスしたところで自分にとっての正解を教えたつもりでも、その後輩にとってみたら正解という保証はないのである。

その後輩にとっては後輩が体験して得たものが正解だったり不正解だったりする。そう考えたら、自分からむやみにアドバイスすることがすごく傲慢に思えてきた。

でも、アドバイスを求められる時も、アドバイスをして感謝されることはある。匙加減が大事なのだが、むやみに「〜すべき」とは断言しないようにしたい。

人間の数だけ正解があるのだから。

「客観視できる大人」になりたいというのは、そういった自分の経験に基づいた正解や不正解を他人に押し付けるのではなく、他人の視点に立って客観的に物事を捉えられる大人になりたいのである。主観的にではなく。

ある人が何かに挑戦するとき、「それはリスクが大きい。やめときな」と相手を思いやってアドバイスをしているつもりでも、相手にとっての大きな挑戦を台無しにしてしまっている。

その挑戦を経て相手は何かを学ぶだろうし、そこに私自身の考えなど、あまり必要ではない気がするのである。

大人として見守りたい。そう思う今日この頃。

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