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忘れられた誕生日

今日で42歳になった。10代で「20歳まで生きられないかもしれない」「いつ死ぬかわからない」と医師に言われていたのに。気づけば、その2倍の時間を生きていた。

今日になった瞬間に、子どもがいきなり歌い出した。

ハッピバースデートゥユー♪
ハッピバースデートゥユー♪

毎年、必ず一番最初に気づいてくれるのは、我が子だ。この仕事をするまでは、私はいつも仕事に追われ、子どもとロクに過ごす時間もなかった。その頃に比べれば、今は随分と時間がある。それでも、私は自分の誕生日を忘れてしまう。

私が忘れているように、母も私の誕生日を忘れている。もう何十年も。あえて付け足しておくが、健忘ではない。「私(母)があえて言わなくてもいいでしょう」という意識のせいなのか、私が高校生くらいから誕生日の日にちさえも間違えるようになった。

私も母の誕生日を祝ったのは、高校一年生の時が最後。お互いさまといえばそうなのだが。それでも、わがままなもので、顔を合わせて小言を言われるとわかっていても、せめて今日のこの日くらいは誕生  日を覚えていてくれてもいいじゃないかと思ってしまう自分がどこかにいる。

おめでとうなんて言葉はいらないから。私は生まれてきても良かったのだと、一瞬でもいいから思わせてほしい。そんな子どもじみた我儘を、直接口にすることはないけれど、自分という存在が許されてもいいのだと乞いたくなる。

まだまだ発展途上で子どもだと、また今年も自覚する。

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