エマ

「"○○"になりたい」と言ったら、うんざりされた話

先月、久々に会った友人とコーヒーを飲みながらキャッチアップしていたときのことだ。「今年の目標は何?」と聞かれたわたしは、すでに身近なひとたちに何度か口にしていたひとことを、何の気なしに彼にも言った。

「今年はわたし、オシャレなフェミニストになりたい」。

そのひとことを聞いた途端、彼はスタバの机に突っ伏した。心底困惑した顔をこちらに向け、「みかー、お願いしますよ。わたしが今年の目標"マッチョ(※1)"になりたいって言ったらどう思う?」と言う彼に、どこから話そうか言葉が詰まる。

やっぱりそうなんだ、日本より理解が進んでいそうなイメージがある某国出身の彼をしてこの反応を巻き起こすくらい「フェミニスト」は誤解されているのだった。

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「フェミニスト」とは、かたくるしい言葉であらわすと「男女同権主義者」(このあたりから、もう大多数のひとにアレルギー反応が出てくるのがわかる)。社会のなかで固定されてきた「女性らしさ」「女性とはこうあるべし」という枠―それが目に見えるものであれ、目に見えないものであれ―から自由になっていこう、そのために必要な法改正やアクションを起こしていこう、というひとたちのことだ。

そして、オバマ前大統領が昨年「女の子は控えめに、男の子は積極的に、育てる風潮を変えていかなければなりません。女の子たちがはっきり意見を述べることを批判し、男の子が涙を流すことを批判する風潮を、変えていかなければなりません」と、ある雑誌に寄稿したように、女性が自分の望まない女性らしさから自由になる社会とは、男性が自分の望まない男性らしさから自由になる社会でもある。「男性も女性もあらゆる性別を持つひとが、社会的に固定されてきた【らしさ】を越えて生きよう、自分自身の選択で生きていこう」というのが現代のフェミニスト。だから、性差別主義者でないかぎり、ほとんどのひとがフェミニストであるといえる。あなたも、わたしも。自覚はなかったとしても。

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「自分自身で生きたい(※2)」と思うわたしは、他のひとにも「そのひと自身」で生きてほしいと思う。だから、上記でいうフェミニスト的な価値観を持っているのだが、「わたしはフェミニストです」と言い切ることができなかった。

女性の権利を声高に主張するので、周りは何だか責められてる気分になる

「女」と十把一絡げにされるのを嫌がるのに、「男」は十把一絡げにして批判してる

自分のセクシャリティを押さえつけているような、魅力的でない女性がやいやい言ってる

・・・そんな偏見に満ちたフェミニストへのイメージをわたしも持っていて、だからこそこんなふうに思っていた↓

あんな風に見られたくないよ〜。わたしは自分のなかの「女性性」や「セクシャリティ」も大切にしたいし、表現したいんだよ〜。魅力的だと思われたいし、自分のなかに矛盾もあるんだよ〜。男女同権を主張するなら、男女ともに責任を持たないといけないんだけど、そこに関して甘えもあるって自覚してるんだよ〜、と。

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けれど近年、エンターテイメント界の若い世代の女性たちが堂々とフェミニズムに関して発言する姿を見聞きするようになり、世界的にも風向きが変わってきたなと感じる。ビヨンセ、レディ・ガガ、ジェニファー・ローレンス、テイラー・スウィフト、リアーナ、マイリー・サイラス...(※3)。日本の芸能界にはいないタイプの彼女たちの姿、発信する言葉に、背筋が伸びると同時にインスパイアされることも多い。

「オシャレなフェミニストになりたい」というのはわたしなりの落しどころで、向かいたい道の先には彼女たちのような女性が歩いている。強くかっこよく、けれど、弱く不完全な自分も受け入れる。個々人それぞれの美しさとセクシーな魅力を放ち、声をあげることを恐れない。

自分のなかにはたくさんの矛盾があるし、折り合いがつけられていない。平等に扱われたいと思いながら、守られたいという気持ちもある。そんな矛盾を抱えながら、ひとつひとつをすくいあげ反芻しながらであるから、正しいフェミニストではないかもしれない。それでも、わたしはフェミニストでありたいと思うし、今後はそんな矛盾だらけの自分を自覚しながらでも発信していきたい。

「わたしは、フェミニストです」、と。


※1 マッチョ:男性が持つという「強靱さ、逞しさ、勇敢さ、好戦性」といった性質を基礎とした思想や信条、行動をあらわす言葉。このときの友人はmachismo(マチズモ)を支持するひと、のような意味合いで使っていました。ちなみにマチズモとは「男性優位主義」を指し、男性としての優位性、男性としての魅力、特徴を誇示する、という意味合い。

※2 自分自身で生きたい:いわゆる「自分らしく」生きること

※3 近年、若い世代の女性セレブがフェミニズムのために声をあげている姿を見聞きします。以下のURLをご参考までに。

http://voguegirl.jp/lifestyle/20160410/seven_celebs_feminism/

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UN Womenの親善大使を務め、現代のフェミニズムをリードしている女優のエマ・ワトソンが胸を露出した写真を公開して一部で批判を浴びた。「この写真のせいで、ジェンダー間の賃金格差をなくそうとするこれまでの取り組みがダメになった」「平等な権利なんて偉そうなことをいうくせに、体をみせる偽善者」・・・世界的にもフェミニズムやフェミニストが誤って解釈され、誤解されている様子が伝わってくる。

フェミニズムとは選択権を与えること、選択権を持つこと。自分の体をどう使うか、どう自己表現するかを自分で選べること。ヌードになってもいいし、ならなくてもいい。自らの意志でポジティブな選択ができること。それが、本当の意味でのフェミニズムです。今回の騒動で、正しい理解が拡がることを祈っています。

(トップの写真はUN Womenのサイトから。UN Photo/Mark Garten)

〜2020.8.17 追記〜
twitterで沖田らいくさんが引用していただいたことがきっかけとなって、3年経ったいまこの記事を初めて読んでくださる方が増えました。ありがとうございます。

近いトピックとしてはこんな記事も書いていますので、よかったらこちらもぜひ覗いてみてくださいませ。

↓ボディ・シェイミング(Body Shaming)や母娘の問題について

↓子どもが自己主張する大切さ、性教育について


Thank you for reading!