ボラカイ

ひとの生き方を笑うな

2017年が明けて数日。普段めったなことで怒らないわたしが、今日は朝から少し怒っていた。実際にお会いしたひとたちと何かがあったわけではない。インターネット上で、とあるひとの投稿を見て怒っていた。

ひ と の 生 き 方 を 笑 う な 。

SNSの発達で以前なら考えられなかったような仕事の仕方をしているひとが増えた。個人で発信してお客さんを集客することができる、ファンが増える、売上があがる。いい時代になったと思う。わたしもその恩恵をたっぷり受けてきた。

けれどそんななか、ときたま既存の企業や大企業に勤めているひとの生き方を馬鹿にしたような言動をとるひとがいる。

ふざけんじゃないよ、と言いたい。

組織の枠にとらわれず、好きなときに好きな場所に行けて、好きなひとに会う。確かにそれは魅力的なライフスタイルのひとつだ。

でも別に、それってえらくもなんともないよ(わりとそういう生活を送っているわたしが言うので間違いありません)。

あなたやわたしにその「自由なライフスタイル」が合うように、「秩序だったライフスタイル」が好きなひとだっている。不安をガシガシ乗り越えていくよりも、安心感のなかで仕事をするほうがよいパフォーマンスができるひとだってたくさんいる。

世界はそんなひとたちのおかげでまわっている。

日本の企業や社会やそこで働くひとたちの意識が、変わらなくていいという話ではない。変わらなきゃいけないところもたくさんある。でもそれは、そのひとたちの生き方を否定することとイコールじゃない。

選んだ働き方や生き方は違うけど、お互いその場所でがんばろう。もしその場所を選び直したいと言うなら、応援するよ。他の選択肢が見えなくて苦しいなら、見せてあげる。お互い助け合っていこうね。

そうやってエールを送り合えばいいだけの話じゃないの?

「ひとは自分が自信のない分野でこそ、他人を厳しく批判する」と、とある心理学者が言っていた。他人の働き方や生き方をナンセンスな方向から馬鹿にしたり批判するひとは、つまり自分の働き方や生き方に自信がないのだろう。

「不自由な(というか、不自由に見える)ライフスタイル」を選べることもわたしたちに与えられた自由のひとつだ。あなたやわたしが自由を選ぶことと、ほかの誰かが不自由を選ぶことは、実はまったく同じこと。そこにはもちろん優劣はない。それに心底気づかない限り人間的な深みはでない。たとえ、ひとも羨むキラキラな生活をしていて、そこに憧れるひとたちがワサワサ寄ってきてもな!

以上、怒りの発散でした。かいさーん!



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