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水曜日の本棚♯4 何で捨てちゃったんだろう、ハチクロ

羽海野チカ原作「3月のライオン」の実写版映画の前編が公開された。新刊が出るたびにほくほくした気持ちで買い続けている原作ファンとしては、観たいような観たくないような複雑な日々である。小説やマンガが「アニメ化」「実写化」される度に感じるこのどっちつかずな気持ち、少なからぬひとが共感してくれることと思う。

羽海野チカといえば、彼女を一躍有名にした「ハチミツとクローバー(以下、ハチクロ)」とそのキャラクターたちを思い浮かべるひとも多いだろう。竹本、真山、森田、はぐみ、あゆみ。美大に通う5人の学生たちと、その周辺のまだ若い大人たちの青春―それは「全員が片思い」の恋だったり、生きかたや才能への悩みや戸惑いだったり、時折大人たちが見せる痛みであったりした―を描きつつ、コメディ要素も交えた独特の世界観でとても人気のあるマンガだったから。実際、2003年には第27回講談社漫画賞少女部門、2006年と2007年には「このマンガがすごい!オンナ編1位」を2年連続で受賞しているほど評価された作品だった。

大学在学中から社会人2〜3年目の時期に「ハチクロ」を読んでいたわたしは、主人公たちと同じような痛みや、どうしようもない情けなさやせつなさ、奇妙な頑固さを抱えていて、その取り扱いにひたすら困っていた。そして、ただ息をひそめてキャラクターたちの毎日を祈るように眺めていたのだ。どうしてこんなに苦しいんだろうね、どうしてこんなにつらいんだろうね―。彼ら彼女らに自分を重ね、彼らが傷つけば同じように傷ついた。

「青春」、なんて、言葉ではとても輝いて見えるけれど、冷静に振り返ってみれば2度と繰り返したいとは思わない。苦笑いするしかないもの。あんなもろさでよく生きてたなぁ。世間値も防御力もなくて、むきだしの何かが細かい傷でいつもいっぱいになってた。

◆◆◆

「もう、これはいいかな」とハチクロを手放したのは3年ほど前のことだろうか。時折ふと思い出してはパラパラめくっていたのだが、あるとき思い切って全巻処分してしまった。なぜだろう、もう、いつまでもこんなものを読んでいるわけにはいかないと思ったのだ。社会にまみれて30歳を過ぎた自分には、もうハチクロの世界は少し眩しすぎて、ちょっとこそばくて、苦笑いするしかなかった。

けれど、いまになってときどき思う。「3月のライオン」を読むたびに思う。あぁ、はぐは元気かな。あゆはしあわせになったかな。竹本くんは、森田さんは、真山はどうしてるのかな、と。まるでときどき思い出す、大学の同級生たちのように。

なんで捨てちゃったんだろう、ハチクロ。でも、いまこの時期に読んだらラストの卒業シーンできっと、いや絶対、泣いちゃう。

オレは ずっと 考えてたんだ
うまく行かなかった恋に 意味はあるのかって
消えて行ってしまう もの は 無かった もの と 同じなのかって・・・
今ならわかる
意味はある
あったんだよ ここに

「ハチミツとクローバー」羽海野チカ 全10巻 集英社

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