そして、お礼参りを
パリのサン・シュルピス教会が一躍(わたしのような一般人にとって)有名になったのは、映画「ダ・ヴィンチ・コード」のなかで重要な役割を果たしていたからだろう。ローズラインのある場所、キーストーンの隠し場所、といえば、「あぁ、確かにそんな教会出てきたな」と思い出す方も多いのではないだろうか。
わたしもその1人だった。
実際にここを訪れる前までは。
◇◇◇◇◇
33歳から34歳になる誕生月に、1ヶ月かけてヨーロッパを旅した。最初の1週間はパリに滞在すること、1ヶ月後にローマから日本へ帰国することだけを決めて。
サン・シュルピス教会に足を踏み入れたのはまったくの偶然だったのだ。初めてのパリ、楽しい街歩きからホテルに戻る道すがら現れた教会に、好奇心で入ってみただけ。
-結局、そこで目にしたマリア像とそれに対する自分の思わぬ反応をきっかけにわたしの旅—そして人生—は大きく舵を切ったのだけれど。
(当時のことは別サイトに書いています↓)
<神さまからのゴーサイン>
http://me3.jpn.com/colums/personal-3-2/
<自由>
http://me3.jpn.com/colums/personal-4/
あの一連の旅がなかったら、わたしは子どもを持つという決断ができていなかったと思う。
◇◇◇◇
3年ぶりのパリ滞在は、初めは予想以上の寒さで、次—フォンテンブローの友人宅を後にし、再び戻ったあと—は予想以上の暑さであった。観たいものはひととおり観て、買いたいものもひととおり買って。あとはひたすら散歩したり、公園に行くのみの昼下がり。
確かに頭の片隅にその存在を意識してはいたのだ。最後に1度行っておきたいな、でも行けるかなと思いながら。
結局、初めて訪れた日のように偶然—その日たまたま足を伸ばしたカフェからの帰り道—、あの大きなファサードが現れた。サン・シュルピス教会だった。
◇◇◇◇
あの日と同じように、大きな空間へと続く小さな扉をくぐった。世界最大級だというパイプオルガンを見上げ、ドラクロワの壁画を一瞥し、迷うことなく祭壇の裏へと足を早める。
各国からの観光客の合間をすり抜け、ロウソクの灯りがゆれるその場所へとただ一心に向かう。まるで昔好きだった人との約束場所へ向かうような、緊張と期待と少しの不安で胸がキュッとなり、そして、
—見上げた先にはマリア像。
あぁ。
汗ばんだ全身を硬直させて、それでも内から言葉が溢れる。
あぁ。
やっと会いにくることができました。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとうございます。
わたしを母にしてくれてありがとうございます。
この子をわたしのもとに連れてきてくれてありがとうございます。
母となりわたしはあなたに近づくことができました。
4年前と同じように、いつのまにか溢れ出す涙。構わず彼女に語りかける。
わたしのなかにもあなたがいました。
愚かで、強くて、ただ馬鹿みたいに愛に溢れた、あなたのようなわたしが。それをただずっと認められなかった。疎んで、遠ざけて、馬鹿にしていたのです。
何を?
母性を。
わたしのなかの母性を。
母や、祖母たちの母性を。聖母性を。
愚かなものだ、
偽善的なものだ、
都合よく創られたものだと、
冷笑していました。
同情してもいた。
—でも、
大きく息を吸って泣きながら呟く。
あなたはしあわせだったんですね。
母も、祖母たちも。しあわせだったんだ。
いまならわかる。
厳しい現実のなかで、それでもしあわせな瞬間はたくさんあったんだ。たくさんたくさん、あったんだ。ただこの子さえいればと思うような—わたしがどこかで愚かだと馬鹿にしていた—圧倒的な幸福があったはずなんだ。
ハラハラと涙をこぼすわたしの横で、じっと神妙にしていた小さな命がこちらを見上げた。
泣き笑いで「大丈夫だよ」と告げると、にっこり全身で笑って、キョロキョロとあたりを見渡し始める。いたずらっ子の瞳でわたしの手から逃れ、観光客のあいだへとトコトコ駆けていく。
—あの娘がわたしの子なんです。
慌てて後を追い、後ろ髪ひかれる想いで語りかける。
この子さえいればと思うような、わたしを愚かで強い、馬鹿みたいに愛に溢れた存在にした、
わたしの子なんです。
Fin
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