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あなたの人生に紅しょうがはありますか?

お昼に牛丼を作った。

私が作る牛丼は砂糖多めの、ちょっと甘めの味付けだ。玉ねぎはクタクタになりすぎず、わずかにシャキッと感が残るくらいが良い。

忘れてはいけないのが紅しょうがだ。 

私は紅しょうがが好きだ。世の中に存在する食べ物を1位から並べたら、おそらくトップ10に入るくらい好きだ。紅しょうがを切らしている時は牛丼は作らない。吉野家で牛丼をテイクアウトするときは、必ず2袋もらってくるのを忘れない。自由に取るタイプの店だったら、こっそり3袋はもらってきたい。
牛丼の添え物として紅しょうががあるのではなく、紅しょうがを美味しく食べるために牛丼があると言っても過言ではない。ちなみに焼きそばの場合も同様である。

自分が紅しょうがが好きだと気付いたのは、20代になってからだった。実家で牛丼が出てきたことはなかったように思う。焼きそばはたまに出て来たが、紅しょうがは添えられていなかった。就職先の同期か誰かと牛丼を食べに行って、ドーンと置かれている紅しょうがを何とはなしに添えたところから、紅しょうが好きの歴史が始まった。(就職するまで牛丼屋で牛丼食べたことがないなんてとんだ箱入り娘ですねと思われるかもしれないが、単にコンビニすらない田舎町に住んでいただけです)

紅しょうがは、スーパーのどこに売っているか割と分かりにくい。たいていは漬物コーナーに並んでいるが、変化球で焼きそばのソフト麺の上に陳列されているところもある。(話は変わるがスーパーで一番見つけにくいものは春巻きの皮売り場である。異論は認める)見つけてしまえば、100円から高くても300円以内で買うことができるが、意識をしていないとついつい買い忘れてしまう。「そんなに好きなのに忘れるんですか」と思われるかもしれないが普通に忘れる。紅しょうがとはそういう存在なのだ。

これは人生においても同じことが言える。
常備品としての卵、牛乳、パンなどを買い忘れることはあまりないように、人生のメインディッシュ、というか時間の多くを費やすであろう仕事や家事や学業や食事や睡眠は、あまり忘れることがない。忘れても思い出したらすぐに行動する。例えば、洗濯しようと思って忘れていても、その日の夜か次の朝には洗濯機を回すように。

でも、例えば映画を観に行くとか、好きな作家の本を買うとか、気になっていた美術展に出かけていくとか、好きなスポーツ選手にファンレターを書くとか、びっくりするくらい派手な靴下を履いて出かけたいとか、そういう「紅しょうが的な行動」は、意識しないと忘れて、時間の流れの中で消え去ってしまう。

人生の大半の時間は仕事をしたり家事をしたり生活のことをするわけだけれども、それだけでは紅しょうがのない牛丼のようなものでなんとも味気ない。もちろん牛丼の肉にめちゃくちゃこだわってみたり、白米の炊き方を工夫してみたり、牛丼自体を美味しくする努力(=好きな仕事ができるように努力するとか、家事を効率化するとか、家事自体を楽しむとか)も必要かもしれない。でも、紅しょうがの存在をちゃんと覚えておいて、牛丼の横にそっと添える。それだけで人生の満足度は爆上がりだ。紅しょうがは偉大なのだ。

まだ見ぬ紅しょうがに出会うためには、行動範囲を広げる必要がある。田舎に住んでいた若かりし頃の私が牛丼屋に入ったことがなかったように、今の行動範囲では出会えない紅しょうががあるのかもしれない。コロナ禍では物理的に行動範囲を広げることはなかなか難しいのだけれども、精神的な行動範囲を広げる(例えば生活圏で入ったことのないお店に入ってみるとか、見たことがない映画を見てみるとか、作ったことがない料理を作ってみるとか)はできるかもしれない。

牛丼には紅しょうが、であるように、お寿司にはガリ、ナポリタンに粉チーズ、ハンバーガーにピクルス、と料理に合わせた「紅しょうが的存在」を増やすと、人生はもっと楽しくなると思うのだ。

コロナ禍でも花粉が飛んでいても、せっかくの春なのだ。次の休みには紅しょうがを探しに出かけてみませんか。

あなたの紅しょうがは何ですか?



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