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幼かった頃のわたし

まだ小さかった頃、両親は共働きで、
日中は祖父母と共に過ごしていました。

祖父は芸術肌でいつも庭で松の剪定をしているか、
室内では尺八を吹いたり、
日本画を描くか、彫刻をする日々。

祖母は身体が弱く、
一日の大半をベッドの上で過ごしていました。

そんな状態だったこともあり、両親から託された
小さなわたしをどう世話するか。

知恵を絞った祖父母は、
直径5センチはあると思われる大きな鈴に
紐を通し、わたしの首にぶら下げていました。

庭には大きなもの、小さなものと様々な庭木が
植わっていて死角が沢山ありました。
それもこの鈴のガラガラと鳴る音で分かる仕掛け。

見た目はリアルなドラえもん。

ヘアスタイルは母がショートが好きだったことも
あり、クセっ毛のクリクリヘアを短めにカット
され、襟足はかりあげ状態。

昔の写真を見ると、まだおむつでもしていたのか?
モコモコしたパンツは丸見え。

そんなパーマヘアになったワカメちゃんのような
スタイルで、首には大きな鈴をぶら下げ、
何をして過ごしていたのかというと、

当時、自宅では犬とチャボという種類の鳥を
飼っていたので、そのチャボに水をあげたり、
犬と遊んだりして過ごしていました。

チャボは昼間は自由に庭で遊び、
夜になると、大きな竹籠をひっくり返したもので
外に出ないようにされていました。

犬は、縁側にあげてやり、一緒に過ごすことが
多かったのを覚えています。
薄いお皿にミルクを注いでやると一生懸命飲んで
くれる姿がいとおしく。

そんなことをしていると、天候が良い日だと祖父
が庭に出て松の剪定を始めます。

そして必ずと言っていいほど、祖父が録音していた
尺八の演奏を聴きながらだったので、私も日常的に
尺八の音色を聴いて過ごす日々でした。

勿論、祖父が自宅で吹いていたりもするので、
必然的に音感や曲の演奏パターンなどは感覚的な
ものとして身についていきました。

そして、昔の写真を見ると出てくるのですが、
なぜか?
幼い頃のわたしの頭の上には、果物かごについてる
ピンクにシルバーのラメが入ってる固いリボンが
不自然にピン止めされています。


(可愛いと思い、誰かにつけられたのか?)


だけでなく、
みかんが入ってる赤いネットってありますよね?
あれをヘアバンドにでも見立てていたのか?
両端をピンで髪に留められた写真まであるのです。


(わたしは貧しい家の子みたいで嫌だなぁ・・)
(結構恥ずかしいし、誰がそんなことをしたんだろう・・・。)


祖母は女の子には可愛くさせたいヒトではありまし
たがセンスはありました。
だとしたらアレは仕事人間だった母の仕業だったのか?

そんなことを想像したりしますが、
未だに誰にされたものなのか分らないままなのです。

いつも兄に手を焼いている両親を目にし、ジブンの
意見は言わないようにしていたわたし。
両親を困らせないように、
大人しい子ども時代を過ごしていました。

だから、頭にお洒落?としてみかんが入っていた
ネットや果物かごについてる変な固いリボンを
つけられていても、抵抗することもなくカメラに
向いて笑っていたのかなと想像したりします。


遠い昔のお話なのに写真に残されたそのシーンが
今も心に引っかかっています。

~かおのことが気になるあなたへ~

分かりやすそうに見えて、
なにか掴みどころがないと言われるわたし。
他のnoteも手にとってみてくださいね。
そこにヒントがあるかもしれません。
大切にしてきたベースとなる考え方などお話しています。
どうぞこちらもご覧くださいね。


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