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男の子 女の子 ヘイヘイヘイ!

子どもの頃、わが家では、毎年2月になると応接間
にひな人形を飾っていました。それは母方の祖母か
ら孫であるわたしに贈られたもの。

母の仕事がお休みになる週末に、大きな箱を数箱引
っ張り出して、飾っていました。役割分担で父は7
段にもなるひな壇をモクモクと組み立て。

いつも人形の顔が後ろ向きになっていたりするのを
直しながら、


「これはどこに座らせるんだったっけ?」


などと母とお話しながら楽しくセッティングしてい
ました。

当日は従兄弟たちを呼び、ひな祭りのための母の手
料理を囲み賑やかに過ごします。男女を表す緑と赤
で色分けしたゼリーは定番メニューでした。

こんな感じで毎年、女の子としてお祝いをしてもら
っていました。

けど、わたしはそれだけではありませんでした。な
ぜか?5月になるとこいのぼりもあげてもらってい
ました。  

全く記憶にはないのですが、子どもの頃のアルバム
を開くと、庭の松の枝にくくりつけられた大きな一
匹のこいのぼり。

その下には三輪車に乗り、勝ち誇った顔でこいのぼ
りを見上げるわたしの写真が残っています。けど
良く見ると、わたしが自慢げに乗っている三輪車の
後ろには棒の様なものが写っていて。

その先を見ると、実は祖父が手押ししているという
光景。誇らしげな顔をしているものの、実はまだジ
ブン一人では三輪車すらこげないわたし。

それにしてもなぜこいのぼりだったのか、わたしは
母に尋ねたことがあります。実はこれは母の手作り
で、わたしが喜ぶと思い、せっせと手縫いしたのだ
そうです。

縫いあがったところで、庭の松の木に下げて貰い、
祖父と共に見物していたのだそうです。

今思えば、女の子のお祝いもしてもらい、女の子な
のに男の子のお祝いもしてもらい、どちらもしても
らったが故に逞しくなりすぎてしまったのか。

「1人でも生きていけそう」

なんて言われるのもこれが始まりだったのか。

その後、女子校に行き、いよいよ強くたくましくな
ったのは言うまでもないというお話でした。


↑ ひな人形イメージ図


~かおのことが気になるあなたへ~

分かりやすそうに見えて、
なにか掴みどころがないと言われるわたし。
他のnoteも手にとってみてくださいね。
そこにヒントがあるかもしれません。
大切にしてきたベースとなる考え方などお話して
います。どうぞこちらもご覧くださいね。


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