勇者ズム!SS2  著:時田唯

   『天ノ川リサ、セリナに大変身! ~そして高校に行く~』


 見た目は、手のひらサイズの宝箱。
 コンコンと叩くと、金属の硬い音がした。
 箱のフタには『開けちゃダメ!』と、可愛い札が貼られている。

(なんだろ、これ?)

 お風呂上がりの熱を逃がすように襟をパタパタさせていた天ノ川リサが、その箱を見つけたのは夜十時を過ぎた頃だった。

 彼女が日本を訪れて三ヶ月あまり。最近ではネット通販の扱いも覚え、着々とアニメグッズを増やしていたリサではあるが、段ボール包みでない箱を注文した覚えはない。

 ……というか、この箱。
 突然、出てきたのだ。

 日本の神速配達システム『Amazoom』を駆使しても、玄関のドアすら開けずに荷物を届けるのは、幻のジャパニーズニンジャ以外には不可能なはず。

 となるとリサの故郷、アナストウェルの転送物だと思われた。

(でも、何か頼んだっけ? 明日セリナに聞いてみようっと)

 気にはなったけれど、夜も遅くて、眠たかったので。
 リサは大きなあくびをかみ殺し、こてん、と寝てしまった。
 一晩経つと綺麗さっぱり忘れるのが彼女である。

 翌朝、寝ぼけ眼のまま食パンを咥えたリサは「これ何だっけ?」と、瓶蓋ジャムを開けるように、ぱかーんと『開けちゃダメ!』に手を乗せた。
 爆発した。

「ほわ――――っ!?」


「……それで、リサ。爆発って聞いたけど、怪我はないのね?」
「うん! セリナ、あのね? ボクが箱を開けたら、小麦粉みたいなのがどぅわ~って出てきて、部屋中まっしろになって、でもすぐ消えたよ! ぜんぜん痛くなかった!」

 魔法の箱は、幸いにも危険物ではなかった。
 小麦粉のような煙も、綺麗に消えている。
 リサも健康そのものだ。

 ひとつ、違うとすれば……。

 彼女はセリナを心配させないよう、さらりと艶のある長い黒髪を払い、大きな胸元をぐっと前に出してふふんと笑った。

「大丈夫! ちょっと、ボクがセリナに変身しただけだから!」
「って、ぜんぜん大丈夫じゃないよ! ていうか、リサが私になってるのがもう変だよ!」
「変・身!」

 ニチアサで覚えたヒーローポーズを取ると、セリナ(本物)にぺちっと叩かれた。

 アナストウェルから届いた箱の正体は、変身魔法であり、リサはセリナに変身していた。

 聖なる川のようにきれいな黒髪に、ぱっちりとした力強い瞳。二の腕をつまむと、勇者として育った、しなやかなお肉の感触があった。胸がぎゅうっと締め付けられるのは、リサの服に対してセリナの胸が窮屈だからだ。

 これが、セリナ!
 とりあえず変身の礼儀として自分の胸を揉んでみる。怒られた。

「……リサ、私の身体であれこれポーズ取ったりしないで」

 セリナ(本物)が恥ずかしそうに顔を赤らめつつ、床に転がった箱を拾う。

「箱の印、リサ印のクマさんマークじゃない。変身魔法、アナストウェルで作ったの?」
「そうみたい、なんだけど……」
「実戦用? でも変身魔法なんて効果ないよね?」

 魔法に詳しい二人だから分かるが、変身魔法は役に立たない。催眠魔法と同じくらい成功率が低く、魔法抵抗力があると簡単に看破されるからだ。今日リサが変身魔法にかかったのは『自作魔法であり親和性が高かった/日本にいるせいでリサのマナが低下していた/ぶっちゃけ寝ぼけていた』という複合的要素が、偶然噛み合ったに過ぎない。

 そもそも、勇者パーティの一員として『他人になりすます』など言語道断だ。
 全く使えない魔法なのである。

(……じゃあ、なんで作ったんだっけ?)

 リサはたまにおバカ扱いされるが、アホではない。
 魔法アイテムまで作ったなら、大切な理由があったと思うけど……。

 思い出せない。

 まいっか、とリサが気楽に考えた時だった。

「リサ。この魔法、午後には効果が切れるのよね? 痛くもないし、安全なのよね?」
「もちろんだよ! ごめんねセリナ、心配させて」
「ううん、全然。それより……」

 セリナは変身したリサを興味深そうに眺めて「お願い!」と両手を合わせた。

「今日の午前中だけ、私と『セリナ』を交代しない?」

                 *

 高校の制服に袖を通すと、セリナの優しい香りがした。
 家を出る。
 普通のことなのに、空気がふわりと髪を揺らし、うなじに触れるのがくすぐったい。通学路を歩くセリナ(リサ)は、幼い子供のように楽しげだ。

(高校! 一度いってみたかったんだよね)

 セリナの申し出とは、午前中だけ授業の代替わりして欲しいというものだった。

「今日ね、新作映画の封切りがあるの!」

 聞けば、朝一で映画を見に行きたいという。伝説の勇者の活躍を舞台にしたゲームの実写映画化らしく「先輩勇者として応援しないとね!」と、鼻をふんふん鳴らしていた。

 新作映画のために学校をサボる勇者である。

 ちなみにリサが変身したことは、綾瀬マリーと小刀禰ミアにも伝えておいた。ミアは「ミアもセリナに変身したい!」と別方向に興奮していた。ミアの魅力を全人類に伝えたい彼女は、セリナの魅力も伝えたいらしい。変身が一度きりと聞いて残念がっていた。

 マリーには『セリナの胸おおきい! ボクの服着てるとね、胸がぎゅーって締め付けられるの!』と送ったらライオン印のお怒りスタンプが届いて以降、返事がない。スマホの充電が切れたのかもしれない。

 あとで連絡してみようと思いつつ、公園からはみ出た枝をよけて、歩く。

(目線が、高い。お姉さんな気分!)

 リサは、ミアに並んでちっちゃい方だ。

 アナストウェルに居た頃、魔法使いという後衛職だったこともあり、セリナの背中をよく見ていた。
 その目線の高さにいる自分が新鮮だ。

 自然と鼻歌が零れ、気分も晴れやかになる。

(よーし、頑張るぞー!)

 今日は素敵な一日になる。そんな予感がした。

 ……もちろん予感だけだった。
 朝一番で「姫川さんおはよー、宿題終わった?」と声をかけられ、宿題って何? と聞き返した時点で天ノ川リサ、アウトである。

(高校って勉強するとこじゃん!? ボクの知ってる高校と違う!)

 日々オタクショップでバイトに励み、日常系アニメで培われたリサの知識において、高校とは同級生とダベる施設であった。教室には必ず美少女がいて、巨大権力をもつ生徒会があり、戦車の授業が乙女の嗜み、たまに心を読む異能力者が紛れ込んでいる、というのがリサの常識である。

 なので朝礼後に授業が始まり、日本史の教師がカリカリと黒板にチョークを走らせ始めた時点で、リサの本能が悲鳴をあげた。

 自分は完璧に、なにかを間違えていた気がする!

(わ、わ、わぁ……ひえぇ~!)

 リサは魔法の研究は得意だが、勉強そのものは苦手だ。いわゆる『好きなこと以外はてんでダメ』タイプである。

 それ自体は別にいい。リサの威厳が落ちても問題はないと思う。

 けど、彼女はいま姫川セリナである。
 おかしな答えを出したら、勇者(笑)なんてSNSに書かれたり……。
 最悪、苛められるのでは!?

(どうしよう、ボクのせいで、セリナがぼっちに!)

 制服のスカートのまま、ちょこんと便器に腰を下ろして「べつにいいもん」と、スマホでマリーに愚痴りながら、冷や飯をつつくセリナを想像する。

 アナストウェルでは英雄にして皇女である彼女は、一目見るだけで住民が歓喜し、神を崇めるように涙する者もいる程だ。その勇者が『トイレを暖めていた』等と知られたら暴動待ったなし。

 惨劇は、避けねばならない。世界に平和を。

(責任重大だ……!)

 が、当のリサに、日本史の授業など分かるはずもなく。
 そんな時に限って教師と目が合うのは、学校あるあるだ。

「じゃあ、次……」

 ひえっ、と、息をのむ。
 が、眼鏡をかけた中年教師は「あー……」とセリナ(リサ)から目を逸らし、隣の生徒を指名した。

(避けられた!?)

 これは普段、セリナ(本物)も歴史を知らず「ナポレオンは偉人ですが、私も魔王退治を成し遂げた勇者です!」等と発言した結果、教師にスルーされているのが理由だが――

(ボク、バカだと思われてるー!)

 リサはそう解釈し、そして逃げる訳にはいかなくなった。

 彼女とて魔王討伐パーティの一員、勇者セリナがバカだと思われたまま、敵に背を向けるなんてあり得ない。

 歴史は苦手だが、リサも日本で成長した。都道府県だって五個くらい覚えたのだ。南の『沖縄県』、北の『北海道県』に始まり、主要な『東京県』『横浜県』『名古屋県』くらいは押さえている。大丈夫、リサは本気を出せば、できる子だ。

(勝てなくても、戦えるところは見せなきゃ!)

 かかってこい、とキラキラの眼差しを送る。

 魔王を倒した勇者の眼光は、伊達ではない。
 気づいた中年教師はううむと口をとがらせ、絞るような声で指名をした。

「じゃあ………………姫川。戦国時代に日本で一番有名な、尾張の統治者から日本統一を目指し、本能寺の変で亡くなった、頭に『おだ』がつく武将の名前を答えなさい」
「はい、魔王信長です! 世界統一を狙って魔法でバンバン歴史を変えた女の子です!」
「姫川、織田信長は男だ」
「えええっ!?」

 リサにとって戦国武将はもれなく美少女であり、剣術や魔法スキルの使い手であった。

 負けた。

 ならせめて、勇者パーティの一員として、正しい罰を受けなければ。

「間違えたので、ボク、廊下に立ってます!」
「それは体罰だからやめてくれ、先生の首が飛ぶ」

 高校では罪人に贖罪すら許さないのか。リサは泣いた。

 その後も苦難続きであった。
 古典の授業では、翻訳魔法によりうっかり古文を現代日本語に変換し、そのまま読んだ。
「原文のまま読んでね」といわれて撃沈した。

 唯一活躍できそうなのは三限目の体育だ。球技なら何となく理解できる。相手ゴールに入れれば点数が入るはず。

 パスを受け取るなり、敵陣へ猛ダッシュ!
 見事なトラベリングであった。
 リサはバスケのルールを始めて知った。こっそり泣いた。

 とはいえ古典の授業はそれ以上のトラブルも発生せず、体育もぽかミスだと謝った。バスケはルールを再確認し、パスに徹底すれば誤魔化せる程度に何とかなった。

 低空飛行ながら、セリナの名誉をキープしたのだ。しかし、

「数学の授業を始める」

 午前の最後に、致命の一撃が飛んできた。

(数……学……?)

 リサの計算力は、九九に苦戦する程である。
 乗算に因数分解、三角関数が飛び交う戦場は、彼女にはもはや地獄以上の何かだ。正直ゴブリンの大群相手の方がまだマシである。だって敵が理解できるし。

(もう、何が分からないのかも、分かんない……!)

 そして折悪く、齢五十を超えた初老の数学教師は『左前の席から順番に当てていく』一人一殺スタイルの殺戮者である。

 前の席の子が当てられた時点で、死を覚悟した。

(うう……ごめんね、セリナ。ボク、頑張ろうと思ったけど無理だったよ……)

 せめて少しでも抗って散ろう。
 そうしよう。
 数学の授業ひとつで、うっかり涙ぐむリサであったが……。

 その脇を、つんつん、と突くものがあった。

「……?」

 覗き見ると、まだ名前も知らない女子生徒が、ノートを差し出していた。
 セリナの友人らしい彼女は、しーっ、と指を口に当てる。
 ノートの付箋付きページには、黒板に書かれた式の続きが綴られていた。

「次の問題を、姫川。……姫川?」
「は、はい!」

 リサはノートを信じ、せっせと板書する。数学的な書き順を知らないため、途中で括弧を加えたり、乗算の数字が妙に大きかったりしたが、数学教師は満足したらしく仏頂面をにこりとさせた。

「答えが分からなかったら、他の子に聞いていいのだよ、姫川」

 こくこく頷き、自分の席に戻って――

「今日の姫川さん、なんか、あたふたしてる感じだね」
「分かんなかったら聞いていいんだよ? ほら、センセも分かって質問してるし?」
「う……うん! えへへ。ありがとう」

 両隣の女子にフォローされ、リサは照れたように、はにかんだ。

(そっか。友達に聞けばいいんだ)

 考えてみれば、本物のセリナだって日本に来て三ヶ月。標準的な家庭を知りたいからと一般家庭に紛れ込み、高校にも編入した彼女だって、分からないことが沢山あったに違いない。

 そんなセリナには、困った時に手伝ってくれる友達がいる。

(友達、かぁ)

 学校の友達という響きに、ほんのりと胸の奥が熱をもった気がした。

 ……勇者一行以外の、彼女の知り合い。
 その事実に、理由は分からないけれど、嬉しくなったのだ。

「姫川さん、顔、赤いよ? それに嬉しそう」
「え!? あ、大丈夫、ぜんぜん大丈夫だよ!」

 最初は、心が温かいのが原因だと思った。
 けれど、ぼーっとしてる間にどんどん温かく……あれ、違う。
 身体が熱い?
 と思った時には遅かった。

 リサは爆発した。

「ほわあっ!?」

 見覚えのある、小麦粉のような白煙がぶわりと教室中に広がり、気がつくと制服がぶかぶかで、きれいな後ろ髪も消えている。

 リサ(本物)に戻ったのだ。
 時計を見上げると、昼十二時をすぎていた。

(やば――――っ!)

「あ、ご、ごめん、お手洗い!」

 目を丸くする教室のみんなを余所に、パタパタと教室を逃げ出した。
 皆さんごめんなさい、と胸の中で謝りながら。

 この件はのちに『姫川さんが可愛くなった事件』として噂になる。
 あの、ちっこくて愛らしい少女は何者なのか。
 姫川さんの妹さんが変装していたのでは?
 その割には、似てないような……。
 突然のことで面食らい、憶測が飛び交ったクラスメイトの説得に、セリナ(本物)が奮闘したのは別の話だ。

                 *

「気にしないで。私も無理言ったんだから!」

 近場の喫茶店でセリナと合流し、変身がバレたことを謝ると、彼女は映画館で購入したグッズ片手に笑って許してくれた。映画に大満足だったのか、傍目から見ても彼女は楽しげに頬をニコニコさせている。

「それで、リサ。学校どうだった?」
「すごかった! もうね、どわーって感じ!」
「それじゃ分かんないよ!」
「セリナは? 映画どうだった?」
「もうね、どーんって感じ!」
「わかんないよー!」

 セリナは映画がとても気に入ったらしく、早口に勇者の活躍をまくしたてた。「現実の戦いとは違うけど、勇者には夢と華がないとね!」とか「私もあんな格好良い魔法使えたらなぁ!」とはしゃぐ姿は、年頃の女子高生と変わりない。

 眩しくて、明るい、学校にいた沢山の生徒達と同じようなキラキラの笑顔だ。

「……っと、リサ、ごめん! 午後の授業だから、行ってくるね! 今日はありがと!」
「うん、行ってらっしゃい!」

 セリナが鞄へ大切そうにパンフレットをしまい、足早に喫茶店を後にする。

 その楽しげに揺れる背中を眺めて、変わったなぁ、とリサはふと思った。

 アナストウェルで活躍していた当時のセリナは、常に凜々しく、少女というより勇者の偶像を被っていて――

 あっ、とリサは口を開ける。

(思い出した!)


 それはまだ、リサ達が魔王との対決を控えていたころ。
 セリナは文字通り、勇者であった。
 皆を率いるリーダーとして、無理にでも大げさに笑い、弱みを見せず、聖剣とともに希望を纏う姿だけを人々に示し続けた。
 その内側に、優しい女の子の姿を隠しながら。

(そうだ。あの時の、セリナは)

 傷つきやすく繊細で、少女らしい柔らかな心を、ぎゅっと鍋のフタで押さえつけるように閉じていた。その辛さは、リサには想像しか出来ない。

 ……だから、一時でもいい。
 重圧から解き放たれる時間を作れれば。
 僅かでも、セリナの代役がいれば。

(そう思って、ボクは、変身魔法を作ったんだ)

 ……まあ結局、アナストウェルにいた頃は余裕がなく、お蔵入りになったけれど。

(懐かしいなぁ)

 喫茶店を出て行くセリナの背中を見届けて、一緒に頼んだアップルティーに口をつける。

 昔は変身魔法を作ってしまうくらい、大変な時もあった。
 けど、いまのセリナに必要ないことは、誰の目にも明らかだろう。
 映画を見に行くため、学校をサボる勇者。
 学校にはリサの知らない友達がいて、困った時は助けてくれて、笑ってくれる。
 日本でいう普通の授業と生活があるのだと、今日、知ったのだから。

(こっちに来て、良かったなぁ)

 リサはほんのりと笑い、よし帰ろう、と席を立つ。

 喫茶店の外は眩しいほどの晴天で、うーん、と背伸びをした。学校はリサにとっても刺激的で、まだ興奮のエネルギーが身体に残っている気がした。

(今日はバイトもお休みだし、学校について調べてみようかな?)

 と、のんきに構えていると、チリンと自転車の鈴が鳴る。
 現れたのは日本で度々お世話になる、巡回中のお巡りさんだ。
 ……ちなみにリサの外見は高校生、いや、中学生以下である。平日に私服でぷらぷら歩いている子供、ぶっちゃけ怪しい。

「きみ、どこの学校の生徒? こんな時間に出歩いて、何してるの。勉強は?」
「ひえっ……ごめんなさ―――い!」

 悲鳴をあげ、猛ダッシュで逃げる。
 学校は楽しそうだけど、勉強はしばらく勘弁! と思う、天ノ川リサであった。

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