勇者ズム!SS5 著:御影瑛路

   『元勇者、ラーメン屋でバイトを始める。』


「っしゃいませー! って、みんな!」

 独特の豚骨臭が漂う狭い店内には、赤いレトロなカウンターテーブルと丸椅子が並んでいる。最近は女子が入りやすいようなオシャレなラーメン店も増えたが、この店はそういう店ではない。実際、六人の先客はすべて男性客だ。

 そんな店で、姫川セリナは胸にでかでかと店名が書かれた黒のTシャツを着て、頭にタオルを巻いて丼を運んでいた。

「うわー、セシリーが本当にラーメン屋でバイトしてる!」
「だからこの前そう言ったでしょ。あとマリー、セシリーはもうやめて。こっちでは姫川セリナだから」
「ああ、そうだったわね。ごめんごめん」

 渋谷で買い揃えたファッションに身を包んだ綾瀬マリーは、セリナの姿を見て思う。

(これ、セリナの父である王が見たら卒倒するわね)

 異世界アナストウェルではセシリー・ヴィクトリアは英雄である。勇者と呼ばれ魔王を打倒し、尚且つ神が住む国と呼ばれるエイランド王国では第三皇女でもある。公務となれば一つ一つ丁寧に糸を紡ぎ上げた華麗なドレスを着ることもある。もちろんそれは皇女のためにと、国中のデザイナーが総力を上げて仕立てた特注品だ。

 セリナは皇女という要素を差し引いても、類い希な美人だ。その美しさと神々しさに、故郷では彼女の立ち姿を見ただけで涙する人も多い。

(それが……ダサい店名入りTシャツに、頭にタオル……)

 マリーは故郷の人間を思い、胃が痛くなった。

「あのさ、セリナ、その格好は……」
「ふふ、いいでしょ! 汗や髪の毛を落とさなくて済むって、すごくスタイリッシュでと思わない?」

 なぜかセリナは得意気だった。
 異世界アナストウェルから休暇目的で日本にやってきたのは約一ヶ月前。日本のファッションに嵌まり、そのセンスが日本のギャルと変わらなくなったマリーと違って、まだセリナのオシャレの概念は日本人とは大幅にずれていた。

「セリナ、似合ってる! かわいい!」
「うん、良いと思う」

 リサとミアが事もあろうに同調する。

「……ミア……! 天然のリサはともかく、あんたはあれが姫にふさわしくない服装って分かるでしょ!」

 小声で訴えかける。

「ミアはセリナちゃんの従者だから、否定なんてできないよ」
「その設定まだ生きてんの! もうすっかりアサシンの面影なくして、そんなオタサーの姫みたいな格好してるくせに!」
「オタサーの姫って、マリーちゃんってば失礼だよっ! てゆーかマリーちゃんこそ、ここ一ヶ月で性格変わりすぎじゃない? おしとやか敬語キャラはどこに行ったの?」
「ぐっ……それは――って、アンタに言われたくないし! 日本に来たばかりのとき、フードで顔を隠していた陰キャのアンタはどこに行ったのよ! ていうか、何を胸元を強調した服を着てるのよ! 隠しなさい! 全部まるごと隠しなさい!」
「だって、ミアの魅力を隠すって、人類の損失だから」
「じゃあ全裸になれ! 全裸! はい全裸! ってか、その乳? それは魅力でもなんでもないから。脂肪の塊だから。つまりデブ」
「はいはい、それでいいよ」


 セリナは店内の空気がいつもと明らかに違っていることに気付いた。みな無言でズルズルとラーメンをすすり、食べ終われば挨拶もそこそこに素早く店を出る、それがこの店の基本だ。

 そんな店で、華やかな若い女子三人は異端の存在だった。

(あ、やばい。みんながうるさいから店長がちょっとイライラしてる。お客さんたちも居心地悪そう)

 セリナは三人の元に駆け寄る。

「みんな店内では静かに!」

 セリナからすれば、ようやく採用されたアルバイトだ。間違ってもクビになるわけにはいかない。

 皇女であるセリナは、アナストウェルでは金銭に困ったことがない。魔王打倒のために冒険者であった時期もそうだ。

 向こうの硬貨である金貨を持ち込めば、日本でも大金になる。しかし異世界からの物質転送には制限があり、こちらに転送できた金貨で得たお金はほぼ使ってしまい、これから四人が生活するには到底足りなかった。

 姫であろうが勇者だろうが、日本に滞在するにはこちらでお金を稼ぐしかない。


 しかし、それは容易ではなかった。まず履歴書を書くのに苦労した。元来真面目なセリナは嘘を吐けず、職歴に「勇者」、「第三皇女」、特技に「剣技」と書いた履歴書を持ち込んだ。当然ふざけていると思われ滅茶苦茶叱られた。

 結構泣いた。

 ようやく履歴書で適当に詐称することを憶えた後も面接に苦労した。これもまた正直に「これまでの人生で頑張ったこと? ――魔王を倒したことですかね?」「対人関係で困ったこと? ――英雄と呼ばれることですね。やっぱり気楽に過ごしたいですし」「剣道以外の特技? ――魔法も幼馴染みに教わったので結構使えます!」などと答えていた。当然ふざけていると思われ滅茶苦茶叱られた。

 結構泣いた。

 セリナはこれまで魔王を相手に命がけで戦ってきた。仲間を率いる勇者として弱みを見せるわけにいかず、常に前向きな姿を仲間に見せていた。時には私情を捨て、残酷な判断をしなければならないときもあった。

 それに耐えてきた強い人間なのだ。

 しかし日本に来てからのストレスは、それまでのものとは種類が違った。

 正直者のセリナにとって、嘘や催眠魔法を使う罪悪感。
 理不尽としか言えない叱責への悲しみ。
 自分が採用されなければ生活費がなくなるプレッシャー。

 結果セリナは、ヘラった。
 勇者であるときには考えられないくらい、ヘラった。

 毎日泣きながら仲間に電話をする始末である。ヘラっているときの口癖は「もういいっ!」「もう分かんない!」である。まるっきりやっかいなメンヘラそのものである。

 しかしようやくそれを乗り越え、このラーメン店の職を手にした。

 絶対に失うわけにはいかない。

「もう! 冷やかしじゃないなら早く食べて行って!」
「食べる食べる! セリナ、ラーメンください!」
「リサ、注文するには、そこの券売機で食券を買わないといけないの」

 リサの顔色が一気に曇る。

「う~~……ボク、まだ機械苦手……」
「リサちゃんって天才魔術師なんだから、機械の操作を憶えるくらい余裕じゃないの?」

 ミアがスマホでツイッターのタイムラインを見ながら言う。

「逆なの! ほら、科学って魔法と正反対の存在だから、機械に触れるとなんか、今までの価値観がくるくるしちゃって頭がうわーってなるの! 心が拒否してるの!」

 マリーが頷く。

「あー分かる。あたしも日本人のほとんどが神を信じていないことにいまだに慣れないわ」
「でも、ボクも機械を使えるようにならなきゃ……。頑張る! ……って、わーん、なんかお金をちゃんと入れたのに戻ってきた! なんで! ボク機械に嫌われてる! やだー!」
「ただ千円札がしわくちゃだっただけだから! ほら貸して」

 セリナは千円札のしわを伸ばすと、券売機に入れる。千円札は戻ってくることはなく、ボタンのランプが点灯した。

「わー、セリナすごい!」

 リサは目をキラキラさせてセリナに拍手をする。

「すごくないから。ほら、リサ、何にする?」
「ラーメン!」
「いや味もミソと塩があるし、つけ麺もあるし、トッピングもあるし……」
「ラーメンってラーメン以外にあるの?」
「悪いんだけどセリナ、あたしたちもちょっと分かんない……」

 セリナは頭を抱える。これまでラーメンなんてない文化で過ごしていたのだから仕方ないのだが、一から説明しなければならないのか。

 結局、全員分の食券を買うまでにかなりの列が出来てしまった。並んでいる人が明らかに苛立っているのが分かり、セリナは冷や汗を掻く。


 セリナにテーブル席に案内されると、マリーは改めて店内を見渡す。

(あたしたち以外に女子はいないけど、大丈夫かしら? ま、セリナが働いてるんだから、女子禁制ってわけじゃないんだろうけど)

「二人はラーメン食べたことあるの?」

 リサとミアは首を振る。

「でもセリナちゃん、信じられないほどおいしいって言ってたね。楽しみ~」
「ま、日本っておいしいものばかりだしね。あたしが一番最初に感動したのはシュークリームだわ。何なのあの食感と甘さ……」
「ボクはバナナ!」
「あー、リサ、最初にバナナを食べたときに泣いてたもんね」

 アナストウェルでもバナナに似た果物はあるのだが、身に種がびっしりとあってとても食べにくいのだ。

「あれはおいしすぎる……。バナナはたぶん何にでも合う。ラーメンに入れてもおいしいと思う」
「絶対にやめてよね」

 そんな益体もないことを話している間に、セリナが「お待たせしました」と三人分の丼を置く。結局全員、セリナおすすめの塩豚骨ラーメンにした。

(ふーん。匂いはともかく、盛り付けは美しいわね。ルールが定まっている感じ。多くの人がラーメンに真剣に向き合ってきたのがこれだけで分かる。好感持てるわー)

「「「いただきまーす」」」

 まだ箸の扱いになれていないので、それぞれ不器用に麺を掴む。マリーは手をグーにしてしか箸を使えない。他の客たちがそれを奇異の目で見ていることには気付いていたが、まったく文化の違うアナストウェルから来ていれば、時折おかしな行動をしてしまうのは仕方が無い。日本に来て一ヶ月、こういった視線にはもう皆慣れていた。

 ――それが悲劇を生むのだが。

「すん……すん……」

 まず泣き出したのはリサだった。

「う、ううう……えーん、おいしいよう」
「おいしいわね……」

 つられてマリーも涙する。

「何なのこのスープ。アナストウェルでは貴重な調味料をどんだけ使ってるの? 原材料だけでアナストウェルでは金貨百枚あっても足りないわ。贅沢にもほどがあるわよ……。しかも食べたことのない味なのに、確実においしい……というか、あたしの脳が次を次をって求めてる。もはや食べる快楽よ。こんなのもうほぼ麻薬じゃない!」

「マ、マリー、なんかヤバイ単語を出すのやめて!」

 他の客に水を運んでいたセリナがツッコむが、もうマリーたちには届かない。

「う、うう……」

 ミアも泣き出す。

「ミア、こんなおいしいものを食べられる人生になるなんて思ってなかった。ミアさ、暗殺部隊で冷遇されてたとき、残飯しか食べるの許されなかった時期があって……。あと毒に強くなるために毒キノコとか食べさせられたこともあって笑い死にかけて…………うう…………」
「良かったねえミア……! 本当に魔王を倒して良かったねえ!」
「リサぁ。ありがとう~、本当に生きてて良かった……良かったよう。ああこれ、干し肉ばっかり食べてるシビルちゃんにも食べさせてあげたい」
「うん! 食べさせてあげたい!」
「二人とも! いたずらに快楽を求める行為は、本来罪深い行為よ。女神アルテミラスに赦しを請いましょう!」

 素直にリサとミアは頷き、両手を胸の前で重ねる。

「ああ、神よ。贅沢に溺れるあたしたちをお赦しください」


 泣きながらラーメンを食べる三人を見て、セリナは頭を抱えていた。三人が生まれて初めて食べるラーメンに純粋に感動しているのは分かる。が、他の人にはふざけているとしか思われないだろう。

 実際他の客は、怪訝そうに顔をしかめている。

「姫川さん……友達なんとかできない?」

 店長も青筋を立てていた。

「す、すみません……! 注意してきます」

 セリナは急ぎ、三人の元に駆け寄る。

「……みんな、あのさ、もうちょっと静かにしてもらえ――」

「……!! マリーちゃん! ゙ね゙え! もしかしてこれってニンニクじゃない?」

 テーブルに置いてある無料トッピングに気付いたミアが大声を上げる。

「嘘! 万能薬にも使われているニンニク!? ……確かリーゼにこんな話を聞いたことがあるわ。巨大な王の墓を作っていたときのことよ。労働者はその重労働に疲弊し切って、効率が落ちていた。そこで労働者にニンニクを配ることにしたら、みるみる効率が上がって、不満も少なくなったのよ。でも配る分がなくなってしまった。すると暴動が起きてしまい、結局王の墓は完成しなかった。そう、ニンニクに一つの国策が左右されたのよ」
「ミアも、コロッセウム最強の剣士が、ニンニクの愛好者だって聞いたことある!」
「ボク、テレビで見たんだけど、スポーツ選手がニンニクを注射することもあるって!」
「そのニンニクが無造作に置いてあるって……。セリナ、これっていくらよ? 金貨二枚分くらい?」
「無料だけど」
「む、無料!」

 マリーは目を見開く。

「わー、ボクいっぱい入れる」
「ミアもミアも!」
「ちょ、ちょっとみんな!」

 しかし、興奮しているみんなに、静止の声は届かない。あっという間にニンニクに群がり、全部使い果たしてしまった。

 セリナは再び頭を抱えた。必要上にトッピングを使う。これは店側にとって明らかな迷惑行為だ。

 ただでさえ注目を浴びている中だ。当然その光景を客も店長も目撃している。

「ニンニク、うま……。感動でまた涙が出てきたわ……」
「ううう、体が熱くなる! ニンニクはすごい!」
「ミア、もしかして身長伸びたかも!」

 キャッキャとうれしそうにはしゃぐ三人。
 心の底からラーメン屋を満喫している三人だった。

 けれど、次の言葉で一気にその空気は冷え付いた。

「ったく、バカ女共」

 ついに我慢できずに店長が毒づいた。不満を口にしたことで感情がより収まらなくなったのか、怒り心頭でカウンターから出てくる。

「……すみません……何かあたしたち迷惑を――」

 肩をすぼめるマリーの言葉を遮り、店長は言い放つ。

「ふざけるならもう食べるな! 金は返すから帰れ!」

 具体的に何が悪いかは分かっていないだろう。けれど迷惑を掛けてしまったことだけは自覚できる。

 三人はしゅんと肩を落とした。
 セリナはその姿を見て一緒に落ち込んだ。

(みんな、まだ日本の常識を知らないだけなのに……)

「姫川、友達は選べ。こんなろくでもない人間と一緒にいたら、お前もろくでもない人間になるぞ!」
「ろくでもないって……!」

 さすがにその言葉には引っかかった。それは仲間への侮辱だ。

「何だ、反論があるのか?」
「……いえ」

(事情を知らない店長が怒るのはしょうがないよ。それでも、ここまで言う? 勇者として、仲間を侮辱されるのを見逃すことは許される?)

 葛藤するセリナ。

(だけどここで何かを言ったら、最悪クビになるかも。それは避けたい。だって、あんな苦労してやっと見つけたアルバイトだよ? あの苦労をもう一度するの?)

「ほら姫川。丼を片付けろ」
「…………はい」

 リサが食べかけていたラーメンの丼を持つ。

(まだ食べたかったよね……? ごめんね……)

 怒られているセリナを見て、リサは「ごめんね。セリナ、迷惑掛けてごめんね」と泣き出した。

(リサは悪くない! 全然悪くないんだよ!)

「ち、女ってのは、泣けばいいと思いやがって」

 その暴言に、セリナの動きが止まった。

「どうした姫川? 早く片付けろ」

(うん。踏ん切りが付いた。やっぱり私は――)

「あ、手が滑った! そおい!」

 バシャア!
 セリナは思いっきり、ラーメンを店長の頭にぶっかけた。

「うわ、あちちちちち!」

(――仲間への侮辱を許さない!)

 次はマリーの丼を持つ。

「こっちも、そおい!」
「あちちちちちちちち!」

 店長はその場で暴れながら叫ぶ。

「姫川! そおい、って! お前!」

 するとセリナにとって――いや誰にとっても予想外の事態が起きた。
 店長の頭から、髪の束がどっさりと落ちたのだ。

「ええ!!」

 それはカツラだったが、まだカツラなる存在を知らないセリナは衝撃を受ける。

 だからということもあって、店長の頭を見て、ただただ思ったことを口走ってしまった。

「いや、禿げてるやないかーい!」

 そのツッコミに、店内にはびこっていた微妙な空気は、笑い声によって吹っ飛んだ。


 当然と言えば当然だが、怒りと羞恥に顔を真っ赤にした店長に、セリナはクビを告げられた。

 私服に着替え、裏口から出る。

「ごめんね、セリナ。あたしがみんなを連れてきたばっかりに」

 近づいてきたマリーが、ばつが悪そうに言う。

「あーいいのいいの。また職は探せばいいから」

 ようやく受かったアルバイトの職を三日で失ったのは確かに痛い。また大変な職探しの日々を考えると憂鬱にもなる。

 しかし後悔はない。それになぜか、セリナは憂鬱な感情以上に、妙な爽快感に包まれていた。

(何だろう……? お客さんが笑ったとき、なんかめちゃくちゃ気持ちよかったような)

 自覚はなかったが、これが姫川セリナの芸人魂の芽生えだった。

 このことがVTuberデビューしたときに松居一代の声真似をすることに繋がり、黒歴史を作ることになるのは少しだけ先の話だ。

 まだしょげているみんなにセリナは笑いかける。

「今度みんなでまたラーメンを食べに行こう。家系ラーメンがおすすめなんだ」

 みんなの顔から暗い表情が消える。

「セリナ!」「セリナぁ~!」「セリナちゃん!」

 ひしっ!
 四人は抱き合い、笑い合う。

「ていうかみんな、ニンニク臭っ!」

 そのツッコミにさらに笑い声が上がる。

                             おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?