美しさの基準はグローバルレベルで大きく違うのだ

リンダのシーラへの愛はゆるぎないものだった。離婚の傷を引きづっている私とリンダは夕方になるとワインを飲みながらどっぷりと悲しい気持ちにひたって語り合った。どちらかといえばリンダがシーラの思い出話をとうとうと語るのが主だったけれど。

リンダはシーラが美しくてどんなに魅力的な人なのかを語りつくした。

シーラのように美しい人にはもう会えないと思う。

リンダは悲しそうに言った。

もう手に入らないくらい魅力的なシーラはなんと他のオンナのもとに子供たちを引き連れて去って行ってしまったのだ。どんだけ素敵な人なんだろう。私の中でまだ会ったことのない美しいシーラ像がむくむくと膨らんでいった。

ある日の午後、学校から家に戻るとポーチにぽっちゃりとした黒人のおばちゃんが座っていた。丸顔で人懐っこそうなやさしそうなおばちゃんだ。

奥からリンダが出てきた。

シーラ!来てたの?気が付かなかったわ。キッズが中で待ってるよ。

シーラ?

あの、たぐいまれな美女シーラ?

このぽっちゃりおばちゃんが??

勝手に作り上げていた美女シーラ像がガラガラと音を立てて崩れていった。もう2度と出会うことができないとリンダが嘆く魅力的なシーラはぽっちゃりとしたふつうのおばちゃんだった。

内面のことだったのかな?でもリンダはいつも、彼女はものすごく美しいのよ、(She is so beautiful)と繰り返してた。

そうなのだ、美の基準って人によって驚くほど違う。とくに海外にでると、想像をびよんと飛び越えてしまうレベルで美しさのコンセプトは変わってしまう。

ぽっちゃりとしたおばちゃんシーラは、リンダにとってはこの上もなく美しい人なのだ。私にとっては近所によくいるやさしそうなおばちゃんとしか見えないけれど。

それにしても、外見はどうであれ、シーラには何かレズビアンの心を揺さぶる魅力があるに違いなかった。新しい恋人は短い金髪を刈り上げた白人女性だ。リンダも白人。彼女たちの共通点は白人でありフェミニンなところがまったくないところ。歩き方もしゃべり方もまるで男そのものだった。(シーラも新しい恋人もリンダもみな同じ病院で働いている。リンダの病院が主催したパーティでシーラの恋人を見かけることができた。)

そんな男勝りの彼女たちが思いきり惹かれてしまう魅力がシーラにはあるに違いなかった。私からは全くわからない魅力だけれど。

美しさに対する多様化は、この先のアメリカ生活で何度も経験することになる。例えば女性は往々にして痩せていることが魅力的なことであると思いがちだけど、ぽっちゃりした女性が魅力的だと感じる男性はたくさんいるのだ。同じように男性のすべてが巨乳好きであるとも限らない。巨乳の姉妹に囲まれて育った男友達は、小さいころから常に(巨乳が)近くにあったから、特に魅力は感じないと言っていた。巨乳を苦にしてサイズを減らす手術を受ける人もいる。びっくりするくらい太った奥さんとすらっとした旦那のカップルもよく見かける。

人種が多様だから好みも多様なのかほんとうのところはよくわからない。もちろんビューティクィーンみたいな美女をつれたおじさんだってたくさんいるし整形する人だって少なくない。高校生の娘にあなたの鼻は大きすぎるから整形しなさいと示唆する母親だっているくらいだ。

でも多種多様の美しさが存在することはアメリカの魅力の一つ。単一民族が大多数を占める国ではなかなか存在しない価値観だと思うのだ。




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