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毒舌とは

まだ仕組みが良く分からないままに始めた「ノート」に対して、ときどき、「スキ」をいただくので、書いてて楽しい。ありがとうございます。もしも自分が書いた文章が、たとえ数文字でも誰かのこころに何か響かせるものがあったならそれは幸せなこと。もういろんな文章を書きすぎて、書くことが好きだと思えないことのほうが多い。それでも、誰かが文章に反応してくれることをうれしく思う気持ちは、昔から少しも変わらない。

言葉は、使いかた次第で、人を生かしも殺しもする。

たった数文字の言葉に救われることもあれば、絶望することもある。誰かとの会話によって、その日が素晴らしく楽しい日になることもあれば、終日憂鬱に終わることもある。日々、それの繰り返し。

だからこそ、可能な範囲で、綺麗で丁寧な言葉を使っていきたい。それは、きれいごとでもなんでもない。もちろん私も人間だし、友達との会話では、多少汚い言葉も使う。方言も加わるので、話し言葉は決して綺麗ではない。それでも「書く」言葉は、なるべく綺麗なものを選びたい。

ただ、そういう綺麗な言葉だけでは、人のこころに響かないこともある。

「毒舌」が良い例だろう。毒舌を吐くことで多くの支持を受ける人がいる。この毒舌というものが、的を得ていて面白いことがある。この毒舌、実際のところ、とても高度な文章表現だと感じている。ただ毒を吐くだけでは誰も支持しない。根底に、対象へのリスペクトや愛や知識がなければ、ただ周囲を不快にさせるだけになってしまうからだ。それを理解せずに使う毒舌は、かっこよくない。

そういう「毒」も上手に使いながら文章を書けたら、もっと良いものが書けるようになるのかもしれないのだが、まだまだ、私には、敷居が高い。

そういうわけで、これからも、自分が書いていてここちよい言葉を選んで、なるべく愛をこめて文章を書いていけたらいいなと思っている。


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