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農家になりたくなかった農家の一人娘が後継者として戻ってきた理由

タイトルにある通り、わたしの実家は約60年続く農家です。農家の中でも、育苗業という業種で”タネから苗まで育てること”を担当しています。いわゆる人間でいう新生児から小学校卒業するくらいまでですね!そして私はその家業の3代目後継者/アトツギです。姉妹はいません。

私は結構ポジティブなタイプなのでよく、農家のアトツギムスメです〜!と元気良く言うと、高い確率で返ってくる言葉があります。

1位:「それはおむこさん探し大変やな」
2位:「おー大変そう」
3位:「家業にこだわるより、起業した方がいいんじゃないかい?」
4位:「。。。。。。。」

非常にその気持ちわかります。だってわたしも小学生の頃から、「家業なんか絶対に継いでやるか!」と心に決め、出来るだけ農家から離れられる”海外就職+キャリアウーマン”を目標に生きてきましたから。。。。

実際に海外就職の夢は海外大学院進学後イギリスで達成することができたのですが、昨年日本に戻り、自ら父に家業に入らせてくださいとお願いし、農家のアトツギムスメとなりました。

今日は、家業が大嫌いだった私が、農家である家業を継ぐことにしたきっかけは何だったのかをお伝えししたいと思います。

(1)家業について

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わたしの家業は文化農場という育苗業を営んでおります。冒頭でお伝えしたように、育苗業がこれまたニッチな業界で、野菜などのタネから苗までを育てて販売しています。文化農場で育てている野菜苗は主に家庭菜園用のもので、ホームセンターさん・スーパー等で販売しています。
創業は私の祖父ですが、私が生まれる直前に亡くなってしまったため会ったことはありません。

※また家業については近々詳しくお伝えしますね!

(2)わたしと家業の関係経緯とターニングポイント

ではわたしと家業の関係がどのように変化していったのか、そして家業への考え方が180度変わったターニングポイントをお伝えします。

▽幼少期 / 家業=遊び場。パートさんに仕事の指示する幼稚園児
幼少期は家業=遊び場だったので家業が大好きでした。
むしろこの頃家業・農家が何かもわかっていないので、友達のおうちより質も良い泥団子を生産できるという利点しか考えていなかったような記憶があります。ミミズの解剖実験も幾度となく行われたそうです。

また、よく遊びと同じ感覚で、パートさんと一緒に農場の仕事を手伝っていたそうです。日々手伝いをしているので、むしろパートさんに指示までする生意気な幼少時代を農場で過ごしていたそう。

▽小学校高学年 / 家業=校外学習の場所=嫌いになる。
この時期に一気に家業が嫌いになる事柄がありました。
一番の出来事は、小学校の校外学習の行き先が私の実家の農場だったことです。そこで先生たちに”小野さんのおうちは農家さん”という言葉を学校でよく言われていたため、私の家は農家なんだと実感しました。そして追い討ちをかけるように、
・学校の畑の日誌番長にされる(毎日一人で栽培日記をつける日々)
・農家のくせに理科ができないといじられる
この時、もう農家になんか絶対なりたくないと子供ながら決心しました。

▽中学・高校 / 農場にも一度も足を踏み入れず!
もう小学生の時に、農家=ダサいイメージがついてしまったので、出来るだけキラキラした仕事に就きたいと思い、海外のキャリアウーマンを目指しました。世界で働けるようになるため、中学時代は
ひたすら英語の勉強をしていました。高校も特進コースで勉強に明け暮れました。
この時期に両親にお願いし、2回アメリカ/ポートランドに留学させてもらいました。(一人でユナイテッド航空にのり、カリフォルニア乗り換えで行きました。。人生で一番ビビってました。一生忘れません!!余談。)

▽大学/ まだ農場にも一度も足を踏み入れず!しかしターニングポイントが!
大学に進学。在学中カナダにも留学し、英語はできるようになりました。順調に”農家にならない道+海外就職への道”を選んで頑張ってきていたのですが、ある授業がきっかけで家業への考えが180度変わってしまいました。(良い意味で、ぶち壊されました)それはガチンコ後継者ゼミという実家が家業をしている学生しか受けることができない超マニアックな授業を軽い気持ちで受けてみたことです。この後継者ゼミは本当に衝撃的で。継いだ瞬間に億単位の借金を負った経営者から、長屋からベンチャー企業にしたアトツギ経営者から、毎回異なる経験をしてきた経営者の方々が経験をシェアしてくださるんです。(震えるくらい赤裸々に。。!)

以下がその様子です。
3ヶ月間毎週、家業について否応無しに考える授業となっているので、授業が終わる頃にはわたしの実家ってチャンスやんっ!っと考えが180度変わっていたのです!古い産業だからこそ、変えられるところはたくさんあることに気づくことができました。

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この後継者ゼミで、家業がチャンスと思えた個人的なきっかけが、もう一つあります。わたしこの1年前に、潰れかけのサークルの代表になったんです。メンバーはたったの3人。フェアトレードの商品を学内で販売しフェアトレードを広めるサークルでした。オーガニックな消費に興味があったのと、サークルを設立した先輩の思いを知っていたので、潰す選択をする勇気が出ませんでした。


そこで、この際思いっきりやってやろうと自分のバイトで稼いだお金と他のサークルメンバーからもお金を出してもらい、新入生が入ってきたタイミングで毎週フェアトレードカフェを大学生協さんにお願いして開き、広報しました。また、お金がなかったので、アパレル企業さんの廃棄されるオーガニックコットン生地の切れ端を無料でいただき、それを使ってミサンガ作り体験会などを大学内で開催しました。そうすると3人だったメンバーがあっという間に30人に増えました。その後トントン拍子で、企業さんからお声がけいただき、大阪でフェアトレードファッションショーを開催し、任期満了の頃には大学からお声がけいただき、大学の公認サークルとすることができました!

実はこの経験がピンチをチャンスに変える自分にとってのはじめての成功体験だったのです。自分でチームをつくり、アイデアが形になり、課題を解決できたことに快感を覚えました。この経験から将来はビジネスを通して世界に貢献したいと漠然と思っていたところ、後継者ゼミを通して、自分のやりたいことが実現できるのは家業だと気づいたのです!

▽ロンドン大学院進学→スタートアップ就職→家業へ
その後、ロンドンの大学院に進学してビジネスを学びました。クラスメイトには世界中の大企業・中小企業のアトツギがたくさんいました。彼らはもうクラス内でも投資家を探し、パートナーを探していてとても刺激を受けました。彼らにはアトツギという概念はあまりなく、チャンスあるところには入っていく!このモチベーション一つで行動していました。

わたしも同じようにチャンスは掴んでいく精神で現地のスタートアップに就職しました。これで小さい頃からの夢だった海外就職はある意味達成されます。と同時に就職して改めて、わたしの教育費・留学費用が家業から出ていると思うと、家業に感謝の思いしかありませんでした。
ロンドンでは世界中のスタートアップ・VCの人たちと話す機会があり、働いているうちに家業でやりたいことがリアルに浮かんできました。嫌いだった”農家”という自分のレーベルも、むしろ世界中の人がおうちで農家になればいいんじゃないか?とか、野菜苗を軸に家庭・オフィス環境改善等ヘルスケア産業にも農家として入っていけるなと考えていました。
そんなとき絶妙なタイミングで日本で仕事ができることになり、日本に帰ってきました。こうなると家業にも入ってやりたいことを着実に実現していくしかない!と決め、父にお願いし家業にアトツギムスメとして戻ったのです。


(3)まとめ


小学生の頃から絶対に家業なんか継いでたまるかーと思っていたわたしですが、大学時代に何気なく受講した後継者ゼミがきっかけで、家業への考え方は180度変わりました。後継者ゼミを通して、

1)古臭い業界だからこそチャンスがある!ということ (スタートアップなどが持っていない技術や価値がある)
2)自分が成し遂げたいことが実現できる場所が家業にあること

に気づくことができました。嫌いだった農家という言葉ですが、今は農家のアトツギムスメだからこそできる社会の課題解決に挑むこと、がわたしのアトツギムスメとしてのミッションと考えています。

今アトツギとして新規事業なんかできないかなーと悩んでいる人も山ほどいると思います。実はわたしも入っているのですがアトツギのオンラインサロンがあるんです!ここではベンチャー企業・アトツギベンチャーの経営者の方々がメンターとして入っていただいていて、色んなアドバイスもいただけます。家業で新しいことしたい!という方は以下読んでみてください:


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