写真は俺の好きな、ミャンマーの国境エリア、タチレク。
ミャンマーとタイの国境には回数制限があって、1年間入国禁止喰らってたのだが、コロナで1年間が経過してしまった....
また入れる。
さて、今日は再び時効シリーズを書いてみようと思う。
あれはまだ俺が移動して授業していた話だ。
ある県で授業していた頃。
その県のトップ高は、なんと高校生が下宿とか一人暮らししてまで通ってくる学校だった。
俺の生徒の何人かも一人暮らしをしていた。
こんなことを書いていいかどうかわからないが、貧しい家の子供が多かったように思う。
「飯が食えなくなったり困ったりしたら俺に言えよ。奢ってやるからな。」
俺はいつもみんなにそう言っていた。
「せんせー、あの子、今月ピンチらしいですよ。」みたいな告げ口が入ると、俺はその子に日持ちのする食べ物や、おやつなんかをこっそり渡すことがあった。
ある日のことだった。
一人暮らしの女の子が神妙な感じで俺のところにやってきた。
「せんせー、塾をやめたいんですが...」
「どうして?」
もちろん、俺の授業が嫌ならやめればいいが、お金が理由でやめないといけないってのはこの子のせいではないし、お金がない道は俺が通ってきて、もううんざりだ。
その子は泣きながら、「お父さんがお金がなくて今の家賃も2ヶ月滞納してて....」
力を完全に失った声でいう。
「ふざけるな💢」
俺は飲みかけてたペットボトルでその子の頭を思いっきり叩いた。
ペットボトルはその子の頭を弾いたあと、どっかにぶっ飛んでいった。
もうどうすることもできなくて、下を向いたまま息を殺して泣いている。
「そこにいろ!」
俺はそのまま一番近くのコンビニに行って、金をおろしてその子に渡した。
「困ったりしたら言えって言ったろ!」
3ヶ月分分くらいの家賃を渡して、「塾はやめなくていい!」ってその部屋をでた。
涙が乾いたら授業に来るように言って、授業を始めた。
しばらくしてその子が入ってきた。
さっきまでのしょんぼりが少し元気になっていた。
授業をしながらいつも思う。
塾に来てくれてる子は、まだ比較的に余裕がある家の子で、塾なんか行かれない、いや、その日の食い物にも困ってる子は絶対にいると思う。
もちろん、塾に来てくれてる子供達もお母さんが一生懸命にパートして塾代を作ってくださってるご家庭も多いと思う。
だけど、教育ってのは魔法で、教育の力があれば下克上をすることができる。
俺だってそう。
日本の下層階級生活者から塾の経営者になれたのは、勉強したからに他ならない。
みんなが遊んでいる間、みんながやっていないときにコツコツ未来を信じて努力したから、安心してご飯が食べられるようになった。
だから俺は教育を子供たちに伝えている。
勉強は武器であり、力なのである。
ところで、こういうことは今までに何度かあったのだが、多くの場合はそれで終わりになってしまう。
卒業してからも「せんせーあの時は。」って言ってくれる子はほとんどいない。
特になんでもなかったような普通の生徒の方が逆に、「せんせー、ご飯行こう〜。」とか言ってくれるような気がして不思議だ。
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