見出し画像

ラオスの謎のお土産。

不思議なデザインだ。

何個かを一緒に飾ってたら魔除的な...


昔、ブログを始めた頃はまだまだリテラシーなどという言葉もなく、バトルになることも多かった。

2ちゃんねるには悪口が溢れ、俺なんか何やっても悪口を書かれていた。

今は炎上という言葉があって、やりすぎるとみんなから集中砲火を浴びてしまう。

炎上とまではいかなくてもTwitterなどでは今でも時々、意見が食い違ってバトっているのを目にする。

俺はもう昔のような元気はないので、人と戦うことはそんなになくなった。

正しくはそこまでの信念がなくなってしまったのかもしれない。

まあ、それ以前に結局、意見よりも誰が発信しているかということの方が気になる。

友好関係にある人の言葉だと、何を書かれていても気にならないのだが、敵対関係の人が書いた文章は全てが自分の悪口のように思えてきて、どんなことにもイライラしてしまう。

人とうまくやっていきたければ、あまり人を攻撃せずに平和に書いていく方がいいように思う。


ただ…である。

読んでいて面白いのは、個性に溢れる人だと俺は思うのだ。

俺はね。

これでさえ人それぞれだから、みんなが個性に溢れる必要が全くないが、シップス 先生のように、塾の先生でありながら、多趣味で筆力の高い人の文章は面白いし、超〜塾長のように経営のことを自己中心的に書いてあるのも面白い。

最近ははちやま先生が個性にぶっ飛んでて目が離せない。

俺の場合、面白いと感じるのはどっちかっていうとちょっと不良系の文章だ。

例えば、教務に強い関心を持っている人だったら、こういう風にものを教えるとか、こういう子は成績が伸びない的な文章が楽しいと思うのだが、俺は感性派なので、そういうのにはあまり興味がない。

授業するときはほとんど雰囲気で授業しているので、他人の真似もできないし。


どういうネタに興味があって、どれに興味がなくても全然いいと思うし、どんな発信をするのもいいと思う。

ただ、人とぶつかりたくなかったら丸く書く必要があるし、人と当たっても関係なかったらどこまでもとんがっていいと思う。

つまりだ、どこまでツッパるか、誰とぶつかるかってのは自己責任だと思う。


人間って、結局自分と違うものは排除してしまう。

いつも自分のやり方が正しいと思って生きているわけだから、自分のやり方と違う人は間違っていると勝手に判断している。

人生は教科書通りにじゃないので、本当は誰も間違っていないのだが、ついつい自分が正しいと思ってしまう。

インドに行くのに、飛行機でも行けるし、陸路でも行けるし、船でも行ける。

飛行機の人は、どうして急いでいかないのかと文句を言い、陸路の人はなぜ、道中を楽しまないのか?という。

船の人は、これがのんびりしていて最高だという。

でも、飛行機で行くのはただインドに行ったことにしかならないし、陸路で行くのには時間がかかりすぎる。

船で行くのはお金が高い。

みんなそれぞれ一長一短があるので、何がいいとか決められないが、「これがいい。」と強く言えば言うほど、アンチができてしまう。

例えば有名な前澤社長(お金配りおじさん)など、誰かに迷惑かけているわけでもないのに、アンチが存在する。

前澤社長が誰にお金を配っても誰かが幸せになるわけだから、俺はいいと思うのだが、お金配りと言う情報を強く発信するためにアンチができてしまう。

だけど、こう思う。

それでつっぱってるやつの方が面白いし、俺もそう言ってくれる先輩たちにかわいがられて今日まできた。


俺は普通をやる気はないので、そういう風に生きていく。


ちなみにTwitterにしてもFacebookにしてもブログにしても更新頻度の高い人の方が親近感が湧くよね。

うちのグループでいうと、一番更新頻度が高いのは俺墨のとしや先生かなあ。

読んでみてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?