昭和の40年代にはタバコ屋さんのようなお店がいっぱいあった。

そこで、ちょっとしたものをみんな買っていた。

それがスーパーマーケットができて、大きいショッピングモールができた。

ところが時代が一周回ってコンビニエンスストアの誕生だ。

また、近所のコンビニに人が集まるようになった。

小さい店→中くらいの店→大きい店→小さい店と進化してきた。

この発展順番で行くと、次はコンビニよりも大きい店が流行るようになるだろう。

「時代は螺旋のように進化してゆく」

何かの本にそう書いてあった。


だから俺はいつも、予備校の次は公文のような個人個人の学習のスタイルになるんだろうと思っていた。

理想論を述べてみる。

もしも、個人個人の学習の程度を計測できて、ムダのない勉強ができたらどうなるだろうか?

例えば、英語の単語である。

覚えているものと覚えていないものに分けて、覚えていないものだけ選択的に勉強できたら、効率がいいに決まっている(アプリ学習ではそうなっている)。

さらに文法が苦手な子、英作が苦手な子、苦手なところを優先的にやれるようになるとできている問題をまた練習するというムダ撃ちがなくなる。

もっと言えば、例えば英検。

中学生でも英検2級をとる子は珍しくなくなった。

高校生でも英検3級程度の実力の子はいる。

これ、クラスの切り方が変じゃないか?

仮に英検がうまい具合に英語の実力を表しているとするならば、英検3級の子のクラスを作る方が平等に学べているわけだし、効率がいいことになると思う。


もっと言えば、大学が相対評価ではなく絶対評価にしてくれたら、例えば、英検1級だったら大学1年生になっていいですよ。とかにしてくれて、すべての学習がコンピューターを使って能動的にできるとしたら..

もはや大学という建物の中に集う必要はないし、4月や10月に入学式をする必要もない。

ある人は世界を旅しながら勉強し、ある人は陶芸家でありながら勉強できる。

こういう学習の方が効率がいいし、逆に平等な気がするのは俺だけか?


さて、話を戻してみよう。

現在、動画授業が珍しくなくなり、またコンピューターを使った英会話教室なども普通になってきた。

ついに公文の進化スタイルが出てくる時代になったのではないだろうか?

これを可能にするのはコンピューターだ。

ただ、まだオールコンピューターにするのは時期が早いと思っている。

例えば、現段階で俺が最も効率がいい学習方法と思っているのは、動画を見ながら進捗をチェックしていくという方法だ。

例えば、俺の化学の授業はすべて動画に収められている。

30分ごとの動画を見て、1分でテストする。

オッケーなら次へいく。

ダメならやり直し。

30分の動画を10本見たところで、大きいテストをする。

オッケーなら次のステップに進む。

ダメならやり直し。

ただし、30分の動画テストはすでに合格しているので、まとめの紙かなんかザーッと学習すれば効率よくテストに合格すると思う。

好きな時間にやりたいだけ勉強する。

気が乗ればどんどんやればいいし、不調の時は休めばいい。

コロナも出てきて、一気にネット授業が市民権を得るかもしれない。

もちろん俺は、10年以上前からコツコツと動画を貯めて、問題を格納し準備してきた。


時代が動きそうなら、一気に便乗したい。

俺は教育者ではないので、時代にあった学習方法の波に乗っていこうと思っている。

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