はじめて「コミュニケーションコスト」を日常LINEで意識した
話がズレることは、会話をしていればよくある。
言いたかったことをどれだけ丁寧に伝えても、相手に伝わり切らないこともある。
それでも、「どうしてわかってくれないの」なんて思わない。
大抵の場合その原因はきっと自分の言語化不足だし、相手と自分は考え方もこれまでの経験もまるっきり違う。長く一緒に関わってきたからと言って、価値観がぴったり合うことなどあり得ない。
それでも。昨晩はコミュニケーションコストを感じずにはいられなかった。
本来の意味とはきっと違う、「コミュニケーションコスト」の定義
「コミュニケーションコスト」ということばを初めて知ったのは、ライターのゆぴさん(いしかわゆきさん)がSNS活用関連のイベントに登壇されていたときのこと。
コミュニケーションコストとは、「(主にテキストベースの)会話・やり取りにかかる手間」のことだと思う。
ゆぴさんがイベントで話されていたこの場合だと、こちらがクライアントに事前に情報を渡しておけば必要なかったコミュニケーションを、わざわざしなければならない状況を「コミュニケーションコストがかかる」と言っている。
そこに時間をかけるんだったら最初から連絡なんてしない。応募がたくさんあればあるほど余計にそう思うよね。
長らく感じた違和感が、退職を機に浮き彫りになる
コミュニケーションコストは何も、仕事に限ったことではない。
私たちは日常で会話をするとき、相手の返答を待ちながらも「こう言われるだろうな」と無意識に予測しながら話すことがほどんどだと思う。
あるいは、「こういうことを言ってほしいな」と思って話を工作したりする。これもまた無意識で。
大抵の場合、自分が期待した答えが返ってきて、話は盛り上がる。
たとえ期待した答えが返ってこなくても、これも大抵の場合、その答えの意外性に「なるほど」「面白い」と思って、それはそれで盛り上がる。
それでも、長らく「これを話したかったんじゃなかったんだけどなあ」「いまその話する?!」というズレを感じると、一方的にストレスを感じてしまう。
それが、前職の居酒屋店長時代から2年ほど関わっている、仲のいい先輩とのやり取りだ。
コミュニケーションコストを感じて離れる。こうして疎遠になっていく
先輩とは長らくLINEで連絡を取り合う仲だったが、会話のズレは以前から感じていた。
特に、私の気が弱くなったり悩んでいるときでも、はぐらかされたり、笑いにして流されることが多かった。
これが「職場の後輩」としての「仕事の悩み」だったときは、かなりアドバイスをいただいたし、実際それに助けられたことは多かった。
でも、仕事というつながりが無くなったいまは?
いまでも先輩とは仲が良く、LINEの頻度は減ったもののやり取りはする。でも、以前から感じていた会話のズレをより感じるようになった。
それはきっと、同じ仕事でリアルで関わっていたときの「この人と話すの面白い」「面倒見てくれる」「いつでも相談乗ってくれる」、いままで会話のズレをカバーしていたこれらの要素が、私の退職によって感じられなくなったから。
私が何か話題を振っても、本筋じゃないことを返される。
「いま話したかったのこれじゃないんだけどなあ」「この話に乗る?でも興味ないし」「でも話題を戻すのめんどくさいしなあ」
個人間のやり取りではじめてコミュニケーションコストを感じて、返信を辞めてしまった。こうして疎遠になっていくんだろうなあと思いながら。
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