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「頑張っている女性っていいよね」って言われたくない

「頑張っている女性って、いいなって思って惹かれるんだよね」

大学2年生の頃、仲が良かった同級生と珍しく浮ついた話になったとき、彼はそう語った。恋愛とはしばらく縁遠い、かつ女友だちの少ない彼の言葉はかなり新鮮だったのと同時に、その「頑張っている女性」に自分が含まれていることを自然と察して、少し決まりが悪くなった。

当時の私を振り返ると、かなり精力的に活動していた。

まだ大学2年生なので授業数は履修ギリギリまで入れて、課外活動のため日光まで何度も足を運んだ。海外フィールドワークのゼミに入って一気にレポートが4つ溜まったし、加えて必修のフィールドワークも重なった。ゼミから帰ってきたら39度の熱を出していたことは、今でもよく覚えている。

大学生活は勉強だけに留まらない。ゼミが終われば塾講師のバイトに向かうし、火曜と木曜はオーケストラサークルの練習があった。演奏会を取り仕切る役になり、膨大な仕事量をアナログからデジタルに必死に切り替えたり、後輩に仕事を振り分けたりした。その合間で当時の彼氏とデートに行ったり、友だちと旅行したりするのだから、活動内容はさておき「なんだかすごい頑張ってる」感はあったと思う。

そんな頑張りを見て惹かれてくれたと思うと、これまでの自分を認めてくれたようで嬉しかった。当時はそう、思っていた。


昨年、とある男性に「頑張っている女性って惹かれるんだよね」と言われた。実に7年以上ぶりに聞いた発言だった。
けれど、嬉しかったはずのその言葉は負のニュアンスを孕んで私にのしかかる。


それって、私はずっと頑張ってなきゃいけないってこと?

私にだって頑張れないときもあるのに、「頑張ってない私」は認めてくれないの?


結局「頑張っている私」だけを切り取って評価されているにすぎないと思うと、舞い上がっていた過去の自分に冷たい視線を送りたくなった。

今でもこれからも、やりたいことはたくさんある。ライターの仕事を増やしたいし、FPもeco検定も取りたい。楽器もうまくなるためにレッスンに通いたいし、ひとりで海外旅行にも行きたい。

私はこれからも頑張る。けれど、頑張れないときもきっとある。そんなときでも肯定してくれる、そんな居場所を作り続けていきたい。

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