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「まあ、いっか」で済ますのをやめたとき

たとえば、いつも持ち歩くお茶の味が少し違うこと。

自分が着る服や背負うリュックから、人の家の匂いがすること。

階段の電気を付けようとして、スイッチがどこにあるか少し探すこと。

ゲップやオナラが不意に出ないようにするのはもちろん、「可愛くない」姿を見せまいと、何となくいつも気を張っていること。


そんな些末な出来事が日々、少しずつ積もって、じわじわとストレスを生んでいた。

毎日楽しいはずなのに、何不自由なく幸せなはずなのに、どうしてこんなにすり減っているんだろう。
ああ、やっぱりまだ同棲は早かったかもなあ。もう少し素を晒せるようになってからがよかったかなあ。このままだと何だか、おかしくなりそうだ。

パートナーの家に仮引越しをして1週間、近所の自転車屋さんで通勤用の電動自転車を買ってくれた日の夜、スーパーの惣菜をリビングで一緒に食べていたときそんな話を切り出し、大号泣した。


思えばいつも、このくらいの違和感は「まあ、いっか」で済ませていたような気がする。ちょっと疲れたなあとか、少しひとり時間が欲しいなあとか思っても、それを言い出すことはあまり無かった。
その理由は大概、違和感ひとつの大きさは大したことなかったことと、それを発することによって相手が悲しむ顔を見たくなかったことに起因する。

けれど、この違和感を放置した結果、自然と距離を置いてしまった人間関係は少なくない。友人、彼氏、一度きりの人……。
「まあ、いっか」で済ませられなくなったとき、私はひたすら拒絶に走る。話さず、会わず、連絡も徐々に減らす。プツンと糸が切れて、今までの「忖度」を一気に清算するのだ。


今回こそ、それは避けたかった。
出口のない独り言のような小さな抵抗を、パートナーは全て掬って「仕事しながら人の家に引っ越して、慣れない環境で大変だったよね」と、肩を抱いた。それにただ安心して、また声をあげて泣いた。

大切だと思う人ほど、「まあ、いっか」を逃してはいけない。
それでぶつかることがあってもきっと、何とかできる。何とかする。

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