ジャニーズ事務所のこと

Travis Japanの魅力は日々いくらでも出てきそうなので
まずは「私とジャニーズ事務所」というテーマで書くことにする。

学生時代に住んでいたのは「中野坂上」。
当時のアイドルはみんな通っていた堀越高校の最寄駅だったので、光GENJIの佐藤あっくん、山本くんはよーく、よーく見かけたものだ。
当時は普通に話しかけたりできたのよね。

新卒で入ったのは、青い翼の会社。
そこには「プロジェクト開発部」という部署があって、
彼らの使命は青い翼が就航している海外の都市の面白いツアーをつくったり、就航都市を乗り継いで行ける「新たなデスティネーション」を見つけることだった。
ナップザック1つで放浪して、まだ日本では知られていないデスティネーションを開発する。
カリブ(ジャマイカ、バハマ、カンクーン)、ロスカボスなんかは大ヒットした旅行先だった。
※ロサンゼルスから空路2時間半で行けるメキシコのロスカボスは、個人的にめちゃくちゃオススメ

そして、面白いツアーで言うと、「地球人学校」や「飛遊人(ヒューマン)」といった、ネーミングもイケている大ヒットツアーが数々あった。

すっかり旅行の話に脱線してしまったが、その部署の部長がジャニーズ事務所と仲が良く、ジャニーズの海外ツアーの企画運営をしていたのだ。
下記2つのツアーはとても記憶に残っている。

「少年隊と行くニューヨーク」
少年隊デビュー10周年記念、初の海外ツアー。ディナーショーあり、写真撮影あり。350人が即完売だったと記憶している。

「V6 2001 台北演唱会」
V6初の海外ツアーで、日本人初の3日連続公演。コンサート、ディナーショーあり、写真撮影あり。詳しい人数は覚えていないが、各地方空港からのチャーター便も出たので、1500人とかそんな規模だったと思う。(売り出し15分で完売したらしい)

私は添乗員として参加した。移動中のバスもV6メドレー、「推し」の話で大盛り上がり。V6とのディナーショーの時は「結婚式か?!」という気合の入れっぷりだった。
正直に言うと全く興味がなかったV6だったが、コンサートを観たらアクロバティックが凄まじく、長野くんと坂本くんは歌も格別にうまくてビックリしたのを覚えている。
握手会が始まる前にジャニーズ事務所の女性が「みんなー、絶対引っ張ったりしないでね。小さい子たちケガしたら大変だからね!」と注意していたのに、思わず笑ってしまった。(わけわからないエピソードを覚えているものだ)

その後も、国内線のキャンペーンでKinki Kids、SMAPがイメージキャラクターになったりと、青い翼とジャニーズはとても深い関係にあった。
(「嵐」から赤い翼になっちゃいました)

そこから音楽業界に行くのだけれど、レコード会社の時は、ジャニーズのタレントがライブに来たことは一度もなかった。
FMラジオの仕事の時にも、外国の曲がメインで流れる局だったため、ジャニーズの曲がOAされたことは、おそらく一度もなかった。

当時、K-POPブームの始まりの時期で、東方神起が初めて日本のメディアに出演したのが、私がいた番組だったのだ。5人全員が顔も良くて身長180cm越え(おそらく)。スタジオまでの移動の時にダンスをしながらアカペラで歌う彼らを見て・・・「これはジャニーズ負けちゃうな」と思ったのだった。
事実、ここからどんどこK-POPアーティストが現れ、あっという間にK-POPの市場が出来上がっていった。

その後、オフィスが神宮前の時は、私たちがミーティングに使うカフェが堂本剛くんの行きつけのようで、よく遭遇した。全く変装もせず、女性と来ていた時は「俺の姉貴」とスタッフに紹介していたり。
いつも上から下まで真顔でジロジロ見てくるので、こちらはまともに見たことはない。
(ミーティングのメンバーが私以外全員男で、タトゥーだらけだったり、ドレッドヘアだったりするから、「何の集団だろう?」とみられていたのだと思うw)

そんなわけで、勝手にジャニーズ事務所とは「縁」を感じていつつも、全くハマらずにいた〇十年なのであった。

ここ半年、Travis Japanが共演していたり、一緒に写真を撮ってインスタに挙げていたり、彼らが尊敬するジャニーズ先輩方ばかりなので、ちょっと記憶の整理も含めて振り返ってみた。




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