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イケメン、強すぎないか?

 こんにちは!

 元気がいい挨拶です、私。
 あなたは返事をされましたか?

 ネットという匿名の皮を被った私に抱く心象は、この今私が書いている字面とあとサムネ、アイコンくらいだろう。
 だから、あなたはもしかすると私に対して挨拶をしてくれたかもしれない。
 辛く悲しい現実問題として、顔が良い相手には自然と心象が良くなるものである。
 イケメンにおはようと言ってくれたら、男も女も軽やかに返事できるというものだ、ちょっとココロオドル。

 しかし、反対に不細工な人はおはようと投げかけても「うーす」と返されるのが関の山でないだろうか。
 悲しいかな、情報化が進んだ現代社会で形骸化した、今や逆に耳障りな程大切にしろとさえ言われる挨拶という文化が廃れたことにより、一番恩恵を受けたのが、私に代表されるルッキズムの被害者である不細工な人であったのだ。
 これは、顔界の累進課税制度と言われている。

 イケメンが強い要素は多い、なんか色々と人生得できそうだし、それは長い目で見れば金銭面にも結構数値として現れてくるのではないか。
 だが、ことはそう単純ではない。
 という訳で、私が世間ではあまり言われていない、イケメンの強い要素を持ってきたのでそれを紹介していく。

 不細工諸君震えて待て。

 第一に、東大に行けるというものがある。
 某ドラマの有名なセリフとして「バカとブスこそ東大に行け!」というものがある。
 バカが東大に行ける道理はちゃんちゃらおかしいが、それは置いておいて、ここで重要なのがこの一文には「こそ」が使用されているという点である。
 「こそ」といえば古文で習った已然形の代表例、係り結びというユニットの強意担当の子である。
 係り結び自体、強意と反語しかない、キャラ被りしまくっている解散待ったなしのアイドルグループであるが、問題はこの有名なバカブスのセリフは単純なてにをはではなく、強意が使用されている悲しき事実だ。
 これ、わかりやすくすると「バカとブスは(より一層)東大へ行くべきだ」という意味になる。
 つまり、このセリフは暗に比較の形をとっており、当然ブスの比較対象はイケメンである。
 そう、イケメンは東大に行け!と激励されるまでもなく、東大に行けてしまうのである。
 日本が誇る国立大学、そして旧帝大の王、顔さえよければ誰でも入れてしまう。
 東京大学、顔パスを採用しているという見解が示されている。
 港区とかにある新進気鋭ですぐ潰れそうな、怪しいベンチャー企業みたいなことをしているのである。
 悲しい事実であるが、ブスでも受験勉強すれば東大に入れてもらえるらしいので、不細工ももし受験生なら頑張るべきだろう。

 第二に、水泳の上達の道が開かれているという点である。
 この世の中には不細工を脱しようと生み出された最終兵器、雰囲気イケメンという努力の結晶、ジェネリック医薬品みたいな存在がある。
 イケメンに特許があるわけないので、安くもならないし、むしろ服とかに金かけている分高いのは否めない。
 そういった偽造イケメンの末路、それは形だけなので脆いという点である。

 シャワーを浴びてもその形を保てるのかということを言いたいのである。
 人間水を浴びると髪の毛が「ぺたん」と間抜けな擬音付きで額にへばりつくものとされている。
 イケメンはおそらくへばりつき方も美しいし、芸術作品として近所の展覧会とかに提出することが可能である反面、雰囲気イケメンはなんか顔のパーツのバランス整ってないですよwと指摘されること請け負いである。
 雰囲気イケメンは水タイプが弱点のポケモンなのだ。

 そう考えると人間の中で水に適応しているのはイケメンだけであり、水泳の出場資格は整った顔立ちか、更衣室での他人の目線に耐えうる強靭なメンタルのどちらかということになる。
 イケメンは時として強靭なメンタルとさえ比較される存在だと理解してもらえたはずだ。

 最後に、小心者へのアヘンに悩まされないという点である。
 気力の無い不細工は論外として、やる気があるの不細工は身だしなみに気を遣ったり、話術をネットで検索してみたり(習得しているわけではなく、知った気になっているだけ)色々と対症療法を試すものである。

 しかし、どうしても埋められない溝というのはある。
 天から与えられたイケメンには勝てないというのが実情としてある。
 そうやってホルモンバランスを憎む悶々として日々が続いたある時、それはやってくるのだ。
 悪魔の囁き「不細工でも好む女性は居ますよ~」である。
 友人あるいはネットがソースの危険な情報、そもそも不細工もストライクゾーンに含まれるだけで、普通イケメンと不細工から選べと言われたら、そりゃ前者を選ぶだろという、赤子でも気が付く論理破綻に、盲目な不細工は気が付かないのである。
 あと亜種として、「昔は美的感覚が違ったらしいから、時代が違えばイケメンだったかもね」とかもある。

 このような一時しのぎで心の溜飲を下げる頓服薬発言、これは酷く依存性が高いものとして知られている。
 結局意中の相手には振り向いてもらえないし、こっちは「選ぶ側」にはなれない、そして社会生活も別に改善しないという現実から目を背けてはいけない。
 不細工はそのデバフを背負ったまま生き続けるしかないのである。

 「人生は与えられたカードでの勝負」という一見名言ぽい言葉もあるが、それも論点ずらしをけしかけてきているだけなので注意しよう。
 最悪私はネット空間に逃げる、カオナシになるなどの選択肢が採れるんだぞという強い思いを胸に秘めて生きていきましょう。

 不細工による記事はここで終了です
 読んでいただきありがとうございました。
 次回もまた。

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