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失恋して人生で初めてカウンセリングを受けてみた~後編~

前編に続いての後編です。
前編ではカウンセリングによって、私の中にある触れたくなかったけど
触れる必要があった”怒り”に触れた。
怒っていいんですよと言ってもらえたから。

今回どうして、いままでの恋愛・失恋とちがってこんなにも、
心身にダメージがあったのか。
悲劇のヒロインにすらなれないとどんなときにもご飯を食べてきたのに、
生存意欲が低下し食欲不振になるくらい、落ち込んでしまったのか。



「お話していくなかで、怒りの気持ちに触れることができましたね。
では、涙が止まらないのはどうしてでしょう。単語でもいいです。なにか思い浮かぶことはありますか?」

先生にそう尋ねられ、悲しさ・さみしさ・孤独感が見えた気がした。



私の小学校3,4年生くらいの頃の記憶の話
小学校1年生って入学と同時に、他の子の持ち物と混ざらないように名前をかきますでしょう?
でも自分では書けないから、母がひとつひとつ名前をつけてくれました。
それを見て、あっ。と。
学校からの帰り道突如として感じた、孤独感。

「母も父も弟もおじいちゃんおばあちゃんもみんな私よりも先にこの世を去ったら………わたしはひとりになるんだ」
と、ふと思ってしまった。

その頃、特に親戚の葬儀に参加したとかそういう記憶はなく、
でも今でもふと思った場所を覚えてる。いつもの帰り道。
母の書いてくれた私の名前に、なにかを感じて、
小学校3年生にもなると自分で名前を書くようになってて、
もう母に私の名前を書いてもらう機会なんてないんじゃないか。
と思ってしまったみたい。

でもいずれ、みんないなくなる。
一人になる。悲しい。さみしい。怖い。どうしよう。
どうしようもできない。

わたし、ひとりだ。




小学三年生が突然抱えるには、陰鬱で極端な死生観。
先生にこの話をした。
いままで誰かに話したこともあったとおもう。
へぇ繊細なんだね~と返すしかない答えをもらった気がする。


「それは、小学生が気づくには少し早くて、答えが見つからなくて怖かったですよね。小学校3年生の時の自分に、小町さんはなんて声かけますか?」
と先生が言った。

「………ごめんね。全然わたしも答えみつからないよ。」と泣きながら答えました。小学校3年生の自分を抱きしめてあげることも、励ますことも、今の私にはできなかった。

インナーチャイルドとよくカウンセリングではいうようで、
トラウマを持つ過去の自分自身に「大丈夫だよ」と声をかけてあげることで自分を癒すらしい。でも、そんな無責任な言葉言えなかった。

「そうだよ。悲しいね。あなた、ひとりだよ。20年以上たってもね。これからもひとりかもしれないよ。気づいちゃったよねぇ。怖いよ。すっごく怖い」と一緒に泣くことしか今の私にはできない。


誰かのために、であったり
誰かと生きたい、が私の切なる望みだった。
一人にしないでほしかった。
一人だと思いたくなかった。
仲間だと思ったんだ。思ってしまったし期待した。
だから、すごく悲しくて苦しいんだ。


無責任な大丈夫よりも、
自分の根底にある一人でいることへの恐怖があらわになったことのほうが
自分の慰めになった気がする。
自分のことを知れた気がする。
何が怖いのか、解決策はないけれど、もやに包まれていたものが
少しだけ線が見えたような気がした。


「自分の心の底にしまってたもの、触って怖かったですよね。頑張りましたね」先生はすぐ褒めてくれる。それでいいし、それがよかった。


影があるのは、光があるから。
極端な死生観でほの暗い影があるということは、
私は光を感じる力も強いということだ。

私にとって光って?
美しいもの、心湧き上がるもの、素敵なものが世の中にちりばめられていて、それぞれのもつ光に喜びを感じる。

それって、じつは今の仕事に向いてるんじゃないかな。
今まだ自信がずっとないまま続いていたけど、
こんなに自分に向き合ってみえてきて、
この仕事を始めたばかりの20代の自分の肩をちょっとだけ抱けるきがした。


しっかり二回、カウンセリングを同日に行ってもらったけど、
noteとか日記とか携帯のメモ機能とかもそうですが、
自分のこと、気持ちを、自分の言葉で説明するって、
わたしには思考整理と癒しになるんだなと痛感した。

わたしはこれからも傷つくだろうし、喜ぶだろうし、
そうやって生きていくんだな。
少しだけ体重が落ちて、身軽になれた気がしています。




上野大樹「て」



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