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失恋して人生で初めてカウンセリングを受けてみた~前編~

久しぶりの大怪我である。初恋の人に振られたぶりの負傷である。
ここが戦場なら、俺を置いて先に行ってくれと伝えて、胸元から家族の写真とか取り出しちゃうくらい。大負傷。心が大荒れ。
大波の起こるプールが楽しいのは20代まで。
まともに食らったら、普通に溺れる。それが30代の精神力(≠体力)

この期間、どこかに感性を置いてきたんじゃと思うほどに(いやそれは言い過ぎか)、私はいろんなものを目を通してはいるけど脳にあんまり印象が記憶されなくなっていた気がする。一人運転中にみた景色も、そのあとのことも覚えてはいるけど、どれも色あせている気がして。


下北沢ですれ違ってしまった彼ではない人に、わたしは惹かれていた。

彼はなんだか今まで私が好きになる人とは違う気がしていて、
一緒に食事に行けば、ネット依存気味の私がゆうに5時間は携帯に触らず。彼の話がおもしろくて、こちらも話をしたら返答がまたおもしろくて、
知ってる世界の話も知らない世界の話も、彼の価値観もなんだかわかる気がした。
親友のような、時にもうひとりの自分をみるような時もあって、
そんな時間が続けばいいなと思っていた。

好きになってしまうと自分の言葉を失いがちになる私が、
彼の前だと素直にいられた気がした。
私が好きな、私でいられる気がした。


週末の地方出張にて。
楽しくも穏やかに仕事も空き時間も過ごした土曜日。
おいしい地方のお酒で妙に緩んでしまい向う見ずに告白をして
大ダメージを受けた日曜日。
どうして滞在中の中日に告白してしまったんだと思いながら
素知らぬふりをしながら共に過ごし月曜日に帰宅。
そして火曜日出勤日。


「ふー勉強になったな」と朝起きた時に強制的に思うようにして
ベッドから起き上がろうとした。

会社に行こうにも、ベッドで携帯を所在なさげに触る。
これがよくなかった。
あの時の自分に戻れたらと思うが、戻るならどこから戻りたいのか。
もうそんなのもよくわからないな今となっては。



見たくもないものを見つけてしまったパンドラの箱。

自分を振った彼がかつて愛していただろう(今も?)
彼女のインスタグラム。
妙なサジェスト力出してくるなよインスタグラムさんよ。
”フォローするひとをみつけよう”じゃないのよ。



彼女の最後の写真は左手の薬指に指輪。
コメントは「わーい。」のみ
日付はちょうど一年前くらい。
彼は同棲をしておらず一人暮らしのはずだが…?本当に…?
同棲をしていたころはあると過去の話としてしていたけど。それも本当…?

初手からのインパクトもさることながら、
スクロールしていけばしていくほど、彼女が彼に向かってただ発信していくだけを目的としたそれは実質カップルアカウントで、
30代後半のカップルの日常の幸せを投稿しているものだった。

ハッシュタグ#をつけ、彼の名前をもじった彼作のご飯の投稿
映画報告・日々の感謝・デートの様子・ぬいぐるみの写真
新しいパジャマを購入したとをもこもこのパジャマを身に纏った自撮り
彼が撮った彼がお気に入りの彼女の写真

他の知人をフォローしていないところを見ると、
彼と彼だけの世界であって、絵日記のようで、
フォロワー数を増やしたいとかではなく、幸せをただ記録してるだけですよ?という他者が立ち入れないものだった。

何よりその投稿のほぼすべてに、彼がいいね!しているのだけが
その時間一緒にいた時間を刻印していた。


なぜ見つけてしまったんだ。
彼と話した今までのエピソードがつながる。
好きな人にお弁当を作ったこと。
人混みが苦手なのに私のディズニーランドの話になぜかついていけること。私が欲しいといったちょっと珍しいぬいぐるみに反応を示したこと。
私が好きな画家に反応を示したところ。
全部全部全部全部ここにつながってしまった。


ひどくまぶしすぎて、
そして自分が彼女になれないという事実を突きつけられ
「色んな相性がいいとは思うけど…ごめんなさい。僕普通の人じゃなくて」
といって私を振った、彼の顔が思い浮かんだ。


どうにも吐き気が止まらずでも吐けるものもなく、
ドラマの主人公がよくやるように枕に向かって叫んだりもしてみたけど
涙がでなくて、ただ体の温度が下がっていく血の気が引いていくような感覚だけが残った。


「あ、わたし今日会社いけないや」
ふと思った。普通に休んだ。
でも、落ちていく、なにかに沈んでいく中で、浮かび方がわからなかった。

「大人なので。大人なので。大人なので。あれ、いやぁ、大丈夫。大丈夫」
なんども口にしてきた魔法の言葉だったはずなのに、真綿のようにただ首をしめつけてきただけだった。

ことの経緯、いろんなことを知っている大事な友達にはなんだか言えなかった。吐き出し口をなくした私のもやもやは、私の中でただ増殖を繰り返した。大人なのに、どうしたらいいかわからなかった。

自分の機嫌のとりかたも、ちょっと落ち込んだ時の浮上の仕方も知ってたはずだったのに。

その時に、ふと思い出したのがカウンセリングだった。
大事な友人が、「実はね。長年付き合ってきた彼氏失恋した時に頼ってみたよ」と言っていたのを思い出した。

いろんな物価が高騰している中で、けして安いものではないカウンセリング。学校の先生にすら、心を開かず、自分の好きな先生にしか懐かなかったわたし。

しかも、相談する内容が、告白して振られたってだけ。
事実を端的にみたら、よりつらかった。そして恥ずかしかった。
これからどうしようもできないことはわかっている。
恋愛のハウツーを聞きたいわけじゃない。
でも、この気持ちのやりようがわからなかった。

一回やってみて、ほらね私の想像の域を超えないと思ったら、
それはそれでいいかと、いますぐ相談できるカウンセラーに相談できるサービスを使った。

お金を払うんだからな…と
それぞれのカウンセラーのいわゆるプロフィールページをさっくりとみる。
それぞれ強みのある分野があるようで、一応恋愛のジャンルから見ていたけど、なんだか…うん……自分の話が恥ずかしい気がして、
カウンセリングやめようかなと思いはじめたとき。


人はみな、ときに心身のバランスを崩し、
誰かの援け、誰かの手を必要とします。
けれど、わずかの適切な支えがあれば、
誰もが自分の内側にある回復力を発揮して、
崩れてしまったバランスを取り戻すことができるようになります。


そう、書いている先生がいた。
当たり前のことかもしれないけど、当たり前のことが分からなくなってた。
どうしたらいいかわからなかったけど、
そうだ、わたし今とりあえずいままでの自分に戻りたかったんだ
と思えたのが忘れられない。

ビデオ通話という形式しかこの先生はとっていなくて、
まぁ心開くかはわからんけど、顔見たら少し落ち着いて自分のこと話せるかもしれないとは思った。気恥ずかしいけど。
俯瞰的に?少し距離をとって?画面に映る小窓の自分を客観視しながら?

………とか思ってたら、開始10分で大号泣。涙が止まらなかった。
もうこんなに泣いたのはいつぶりか。大人の本気泣きである。
ここ数年こんなに嗚咽を漏らしたことがあっただろうか。

あー涙が出てしまうーくらいの溢れかたをした日もあったし、
おめおめと泣いたことも、悲観したこともあった気がするが、
いつだって泣くのは一人で、ましてや会ってすぐの人の前でこんなに泣いたことはない。


「その溢れちゃう涙をどうか止めないで。どうして涙がでてしまうか、理由じゃなくて自分の感情にだけ注目して、単語でもいいので、お話してみましょう」と先生は言ってくれた。

大人だから
もう大人なのに
怒りは悪だ
怒る資格もない
私は自分の言葉に絡まって、言葉で状況を整理することはできても
その状況に対してどう感じたのかを追いやってしまっていた。


大人だけど、怒る資格はないかもしれないけど、
「やっぱりさあんだけ仲良くしていて、相性がいいと思うようなこといって、クリスマスも一緒に過ごして、それは思わせぶりなんじゃないか?」と私は怒っていたんだ。


大人なのに、そんなもてあそばれただけで傷ついただけでしょう?笑
ネットや一部の界隈の友人には言われる相談内容かもしれない。
でも、たしかに私は期待を裏切られて怒っていた。

こんなに色んな話を聞いて、話して、扉が開けた気がして。
対等である気がして、この先の未来隣にいたらとても楽しいんじゃないか、悲しいこともやるせないことも一緒に怒って乗り越えていけるんじゃないか、そう思えた人だったから。

そんな相手に、性の部分だけ切り取られてしまったこと。
皆まで言わずとも割り切ってセックスしてたといわれてしまったこと。
始まりはそうだったかもしれないけど、そのあと話して過ごしたセックス抜きの時間のほうが、信用に足る時間だったのではないのか?
確かに、なんでだよ!もう!と怒っていた。
でも相手にはそんなこと言わなかった。言えなかった。

「気まずい翌日も、ちゃんとこなして、泣かなかったんでしょう?
偉いですよ。すごくつらかったよね。すごいことですよ」と、
先生は励ましてくれた。



またこうも話してくれた。
「これはいち個人的な意見として聞いてほしいんですけど、どうしても男女の肉体構造の差で、受け入れる側の女性の、もちろん双方の同意のもとであったとしてもね、関係を結ぶことを受け入れる覚悟ってやっぱり男女で違う気がしてならないんですよね…だから、小町さんはすごいんです。そして怒っていいんです」と先生も泣いていた。

自分の怒りにきちんと向き合った。
もちろん疲れたけど、それこそが私が私を癒すために必要なことだった。



それだけに大切な相手に、これからの人生横にいる権利をもらえなかったこと。それが、たまらなく悲しかったこと。悲しくてやりきれなく思ったこと。

今回の失恋にどうしてこんなにも、心が張り裂けてしまったのか。
怒りと悲しみによって流れていた涙は一時的にとまった。
ここまでは、きっと普通の恋愛相談。


カウンセリングだからこそ、友達ではないからこそ、カウンセラーの先生が
もう一段階自分の底にある悲しみ・絶望に触れることを促した。



話が長くなってきたので、全編後編に分けることにします。
もし、もう少しお付き合いいただけるようでしたら、後編もご覧ください。



最近配信になった新曲が、同性愛をテーマにしているようだけど、
自分のことのような気がしてしまいました。
恋人にはなれなかったけど、これからもあなたとの仕事は続いてゆくので。


indigo la End「名前は片想い」


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