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予期せぬ奇跡

今回はアカデミー賞受賞作品の『バードマン あるいは   (無知がもたらす予期せぬ奇跡)』について書いていきます。


バードマン あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡)

“愛される者”と呼ばれ 愛されてると感じること。

映画好きのための映画と言っても過言ではない本作は、マイケル・キートンを主演に、エドワード・ノートンやエマ・ストーン、ナオミ・ワッツなど多くの豪華キャストが出演している。

監督にはアカデミー賞常連の監督、アレクサンドロ・ゴンサイレス・イニャリトゥ。
『バードマン』の他には『レヴェナント 蘇りし者』『バベル』などが有名。

ハリウッドの内輪ネタが沢山詰め込まれていて、彼らの作品を観たことある人は「あっ」となるシーンばかりで映画が好きなら好きなほど楽しめるようになっている。

第87回アカデミー賞では作品賞、撮影賞、脚本賞、監督賞と、この年最多となる主要4部門を受賞するなど批評家からの支持も多く集めた。


あらすじ

かつてスーパーヒーロー映画「バードマン」の主演として人気を博すも、今や過去の人となり公私共にどん底の人生を送る中年俳優のリーガン。

再起を決意した彼は、自ら脚色・演出・主演を務めるブロードウェイの舞台の製作に乗り出すのだが──


芸術家になれない人間が批評家になる。兵士になれない人間が密告者になるように。

本作は他のアカデミー賞作品と比べると系統が異なり、少し難解映画の部類に入る作品だ。

ほとんど全編ワンカットで構成されているのが本作の最大の特徴。

ワンカットと言えばアルフレッド・ヒッチコックの『ロープ』や、サム・メンデスの『1917 命をかけた伝令』が思い浮かぶ。

ワンカットには途切れることの無い壮大なスケール感や緊張感を表現することができ、観る側が画面に引き込まれやすくなるという特徴がある。
本作でもリーガンがぱんつオンリーで締め出され劇場に戻るシーンだったり、ビルの屋上から飛んでいくシーンをワンカットで効果的に見せていた。
他にもドラムを叩く男の瞬間移動や、何故か超能力が使えるリーガン、突然現れては囁いてくるバードマンなど、日常を描いているドラマの中にファンタジー的要素がワンカットの同じ空間に存在しているシーンが多くある。
虚構と現実の線引きができず、統合失調症を患ったリーガンが見る景色をワンカットで描き出すことに成功していた。
彼が現実と妄想の区別がつかない状態まで精神的に追い詰められた状態なことをわかりやすく表現しているのだ。

かつて『バットマン』で一世を風靡したマイケル・キートンは、1992年の『バットマン リターンズ』以降作品に恵まれていない。
エドワード・ノートンは『真実の行方』『アメリカン・ヒストリー X』『ファイト・クラブ』で演技派として注目を集めたものの、『インクレディブル・ハルク』の失敗からアベンジャーズシリーズ降板となり以降作品に恵まれずにいる。

そんなマイケル・キートンが演じるのは過去の栄光に縋り付き苦しむ、まさに自分自身。
一方エドワード・ノートンが演じるのはブロードウェイの超実力派の大スター。

『ファイト・クラブ』の栄光を取り戻すチャンスを『インクレディブル・ハルク』で失ったエドワード・ノートンが、かつての栄光を取り戻そうとするマイケル・キートン演じるリーガンと対立するこの構造が本当に面白い。

舞台と映画、SNSとリアル、妄想と現実、成功と失敗、真実と挑戦、シニカルかつシリアスな皮肉に満ちたこの対比の絡み合いが作品の魅力をぐっっと押し上げている。
流動的な世界の中で取り残された一人の男がもう一度のチャンスを掴もうと過去の栄光に縋り付き自分を過信し必死にもがく姿には、哀れみや同情、、様々な感情が湧き起こされる。

愛と賞賛の混同。真実の愛とはどこにあるのか。

無知であること故に引き起こされるのは奇跡か最悪の奇跡か。

成功の後には何が見えるのだろうか。
どこへ行くのだろうか。

本作は言葉にできない領域ものを得ることができる。

それは愛かもしれない。未来かもしれない。ハッとする気づきかも。
観終わったあと何を得るかはその人次第だ。


『バードマン あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡)』より

バードマン あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡) (2015)


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