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書けん日記:9 眠れぬ夜に 2冊め

雨は夜更け過ぎに もっと酷い土砂降りになった。そんな夜。
深夜日付が変わる頃に、来る。予感めいた確信。
……あっ、今夜もこれ 寝られないやつだな ――と察する。私。
書けん、進まぬ、このままではアカン、まずい。と……テキストが進まないまま、だが物書きとしての経験も、力技も搦め手も効果なく、カフェインもニコチンもサプリも、薬石効なく。
こんな夜は……そう。アルコールに逃げるのは最悪である。
幾夜、幾朝もの手酷い失態のあとでようやくそれに気づいて、回避することが出来るようになった私は。
眠れぬ夜の、最後の逃げ道へと逃避する。

今夜も、書棚に。何度も読んで、積んである本の山に手を伸ばす。
今夜は……
『長靴をはいた猫』 著 シャルル・ペロー 翻訳 澁澤龍彦 河出文庫

もう、色んな要素が「説明不要ーーーッ!」レベルの本。
『長靴をはいた猫』は、童話やマンガ、アニメなどで親しんだ人たちも多いことと思う。その世界的有名童話の原作が、このペローの童話となる。

この作者のペローは、17世紀フランスの批評家にして童話作家。弁護士資格持ち。これだけ見ても「うわ、めんどくさそうなおじさん」と思いの方もおられるだろうが、たぶんあたり。このペローは、太陽王ルイ14世の財務総監として名を馳せたコルベールの懐刀と云われた人物。さらに……
フランス、そして欧州の論壇に「新旧論争」(古代の哲人と現在の哲学者どっちが偉い?)を仕掛けて、自分は新時代側として、古典尊重主義にまっこうから戦いを挑んだ人物である。なお私が参加すると新時代側が一方的に不利になるのでもちろん呼ばれるわけもない。
――そんなペローの代表作がこの『長靴をはいた猫』。

この本は原題がシンプルに『昔話 鵞鳥おばさんの話』――あの、マザー・グースの元ネタになっているとも云われる17世紀末の童話集で、上記の猫の他にも、『赤ずきん』『眠れる森の美女』『サンドリヨン(シンデレラ)』その他、有名童話のペロースタイルが収録されている。
『赤ずきん』は、グリム童話番が有名だが――ペロー版だと、赤ずきんは哀れ、狼にあっさり裸にされてベッドで食われる(意味深)という救いのない展開で、文末に「年端も行かない少女は他人と口をきくのも危険だよ」「一見いい人に見える狼が一番危険だよ」と、「終わったあとで言われても」な教訓のおまけ付き。
ペローの童話は、残酷とエロスが織り交ぜられた大人向きの童話、などとも云われるのはこのあたりが所以だろうか。そんな中で表題の『長靴をはいた猫』はみなさんごぞんじの、誰も不幸にならない(通り魔の猫に食われた人食い鬼は除く)、愉快で教訓に満ちた昔話となる。
しかもですよ。
この河出書房版『長靴をはいた猫』の翻訳は、かの澁澤龍彦先生。偉大なフランス研究者にして、日本にサドの作品を翻訳、紹介したお人。その渋沢先生の名訳でペローが読める――もうそれだけで、フランス語どころか英語もあやしい私でも、この本のページをめくり、活字を追うだけで、フランス語の戦慄が染み渡るようで……何度も、何度も、この本を読んでしまう。

その表題作『長靴をはいた猫』だが。
「猫が、貧しい男を助けて立身出世」という昔話自体は、ペロー以前から欧州には存在していたようで、グリムも靴をはいた猫が活躍して主人を助ける、という寓話を書いている。()
ペロー版『長靴をはいた猫』では……それまでのイタリアの昔話では、女性名詞でgatta-猫と書かれていたものが、明確にオスの猫、として書かれ。しかも、長靴――道中の農夫たちが猫にびびって言いなりになったということは、当時のフランス市民や農民に恐れられた竜騎兵とかあのあたりの兵士、騎士がはいていた乗馬用の、腿まである長靴と思われる――を履いて、悪知恵、策略の限りを尽くして大活躍。と……。
しかも、それまでの昔話では、ラストシーンで登場しなかったり、酷いのだと主人に捨てられる猫が。ペロー版だと、王子様になったご主人の横で、ちゃっかり大貴族になって余生ライフをエンジョイして終わる。
――ペロー版では、猫のキャラクター性が明確に決められているのだ。

しかもこの『長靴をはいた猫』。澁澤先生の匂い立つような美文に酔えるだけではなく、表紙と挿絵が絵本作家、片山健先生という豪華仕様。
もう、表紙からして。眼帯をしたオス猫が悪そうな顔でご満悦。表紙買い決定。
そして作中にも、片山健先生の美麗な挿絵が、セクシャル+残酷=メルヘンな挿絵が豊富に散りばめられていて、澁澤先生の名訳と合わせて、気分はもう17世紀フランス。
「……わし、アカデミー・フランセーズの会員じゃったっけ?」
と不遜な妄想に囚われてしまう。
あとがきにも、澁澤先生は女性誌「アンアン」の創刊号にこの『長靴をはいた猫』の連載が始まったときから、挿絵の片山健先生の絵がお気に入り、この眼帯猫は文庫本でも続投になったという逸話がある。
……いいのですよ、この。眼帯の猫が。

眠れぬ夜を、こうやってペローの童話で過ごして。
ふと、昔のことを……私が若い頃、たまたま、夜道で。病気にやられて母親とはぐれ、死にかけていたオスの子猫を拾ったことがあり――その子は元気になっても、病気が元で右目は見えなくなっていた。私はその子猫に、『長靴をはいた猫』にあやかって「ダヤン」と名付けて、しばらく一緒に暮らしていた……。
……そんなことを思い出す。もういない、もう会えない猫のことを。
私は「ダヤン」を貴族にしてやれなかったけど、彼は私を、夢だった物書きにしてくれた。
――こんな夜は、涙が止まらない。


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