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Karada だいじ

心と身体について思うこと

人によるとは思うけど
失恋って すごく大変なんだよね
ハタチのころ 大失恋で
人の世そのものが嫌になった 
優しいと信じていた女性だって
利己的に生きている 
世の中そんな人ばかり
と 思ってしまった
愛と情けに溢れた優しい世界は
なかった

失恋で死ぬ人って居るんだよ
自分も 思い詰めたのではなく 
もういいと思った
どうせ生きていても 
自分の望む世の中ではない
死ぬのは怖くなかった 
生きていることに価値がなかったから 

最後に色々整えようと
段取りをしていた
もう少しのところで ふっと 
両親の姿を思い出してしまって
乗り越えることが出来なくなった

自分の命をどうこうするのは
自己決定権だとおもったが
他人を不幸に巻き込むのはダメだと
感じてしまった
悲しむ人がいなくなるまで
我慢して生きるしかない

いちど話は飛ぶのだけど
失恋の相手は
ラグビー部のマネージャーだった
なので 自分も同じリーグの
大学ラグビー部に入っていた
失恋のすぐ後に
ラグビー部の合宿があった 
最悪のタイミング

退部を宣言するには
勇気と元気が要ったので 
ずるっと参加してしまった
避暑地に合宿地があり 
一般の人が明るく笑う森の向こう側は
地獄だった 

自分はこの世に未練が無いのに 
何やってんの?と思った
最近ラグビージャパンの合宿なんかも
映されているからわかるかな?
走り ぶつかり 起き上がり 
また走る これの繰り返し
チームプレーなので仲間の足を引っ張るわけにいかない

ヤケクソで自分を追い込んだ
Karadaが悲鳴をあげた
2週間ほどの日々を
最後まで耐えられる気がしなかったが
なんとか持ちこたえ解放された

整ったような疲れ
やりきった感だったのかな 
それをまとって山を下りた

自分の心の苦しみが 
死ぬほどの苦しみが 
真ん中にあったものが 
どこかによけられていた
少し探して 
また不幸を思い出そうとしたが
Karada がそちらに行かないように
自分を引っ張ってくれた

そのとき以来 
死を望む気持ちが遠くなっている
そして 倍以上の時が過ぎた
心が苦しいときは
いつもKaradaさんに助けを借りる 

もうラグビーをやる機会はないが
かわりに山を登っている
モヤモヤしたとき
山に登ると
あれこれ考えていたはずのことが
透明になる

疲れの先に Karadaさんは大事な景色を見せてくれる
これは西田幾多郎の「純粋経験」
かしらと思う
……難解で実は理解できていないかもだけど…
それは主体と客体が分化する前に
得られるという
大事なことは人の意識は
Karadaとともに在るということ 

Kradaが苦しがっていると
心は苦しくなる
心が苦しいと
Karadaを動かす気にもならない
しかし…
一度、最大摩擦を乗り越え
無理矢理Karadaを動かし始めると
汗が出💦てきて
Karadaが心より先に躍り出る

すると心の濁りが
だんだん透明になっていく感じ
Karadaさんに引っ張られて
真ん中にある苦しさが退いて
新しい意識が生まれる

*****************
死にたい気持ちが強くなっている人に
この感覚を伝えたいと思っている
Karadaを使うことで開けるパラダイム

猪木さんは「筋肉使えよ! ダー!」って吠えてたな
西田幾多郎は坐禅によって
純粋経験を解するに至ったから
身体を動的に使うことだけでなく
静的に使うこともアリなのだろうが
ふつうは哲学者ではないから
汗💦をかけばいいのだ

心とKaradaは
分けてはいけない気がする
こころが きもちが 止まったら
汗💦をかくことが
とてもだいじだと思う

よみひとしらず



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