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猫田による猫田のための、誕生日。

歳を重ねるのがつらいとか
生まれたことに絶望しているとか
そういう説もあるけど、

私は永遠に
誕生日を喜べる自信がある。

一年に一回訪れる
私の生誕記念日。

実は全世界の
およそ365分の1の人とだけ共有している
お祝いの日。

誕生日には歳を一つ重ねる。

というよりも、
1年間生活してきた証が
年齢に積み重なっていくって感じ。

そして今から
新しい1年を過ごしていく、
生まれ変わりのような感じ。

おめでとう
今までの1年。
おめでとう
これからの1年。

誕生日の24時間は
心が少しだけ浮かれている。
3センチだけいつもより
宙に浮かんでいる。

昔は生活の近くにいる人が
みんな私の誕生日を知っていて
自動的にお祝いされてた。

今ではそんなこともなくなって、
むしろ誕生日を知っている人は
めずらしくて貴重な存在になって。
だからといって飛んで跳ねて大きな声で
周りに主張していく歳ではない。

だから誕生日の24時間は
少しだけ心を浮かせながら
いつもと変わらない時間を過ごしてる。

だけども
いつもと変わらないようにみえても
3センチ浮いた心は弾みやすくって、
誰かに一言お祝いされでもしたら
すぐに体の真ん中辺りで
ぴょんぴょこ跳び跳ねてしまう。

何歳になっても
どんなときでも、
うっかり私の誕生日を覚えていて、
一言言ってくれてやろうって
思ってくれたその時には、
ぜひとも…。

わ~
ありがとうございます~

なんて簡単な返しでも
体の真ん中あたりは
ぴょんぴょこ跳び跳ねてるので。

ひとの誕生日を祝うのは
っていうか
ひとの誕生日を覚えるのは苦手。

だけど
自分の誕生日が特別だから、
私のと共通項がある人のは
なんだか覚えが良い。

日付が一緒とか
生まれた月が一緒とか。

そういう人の誕生日は
私の記憶の繋がりの中で
『私の誕生日』と直接繋がってる。
そういう感じなんだと思う。

ただ覚えているからといって、
お祝いできるとも限らないのがたまにきず。

前日まではしっかり覚えていたとしても、
当日覚えてないと意味がなくって。

限られた24時間の間に、
思い出せるか出せないかで
勝負は決まるのだけれど。

しかも睡眠時間もあるから、
実質16時間くらいなのであって。

しかもなにかと忙しいもので、
気づいたらあっという間に過ぎている。

そんな最中に思い出して、
ちゃんと伝えられるお祝いの言葉って
とってもえらい。

もしお祝いの言葉が当日に届いたら
それはとってもすごいことなのです。

翌日になって思い出しちゃって、
「おめでとうございました…!」って
伝えちゃうことも私は多い。

翌日にお祝いされたときは、
それはそれで甘く見てほしい。

遅れちゃったけど、
お祝いの言葉を伝えたかったって
それが大事だという気がするから。

猫田による猫田のための、誕生日。

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