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コリョサラムGoryeo saram#08/アゼルバイジャンのバクーにて#08

1937年8月21日、政府・全連邦共産党中央委員会の決定により、極東国境地域から朝鮮人の追放が命じられた。
引用する。

「ソ連人民委員会議・全連邦共産党中央委員会決定第1428-326号 極秘 1937年8月21日
〇極東地方国境地区の朝鮮人住民の移住について〇
ソ連人民委員会議および全連邦共産党中央委員会は決定する。
極東地方への日本のスパイ活動の浸透を阻止するため、以下の措置をとること。
全連邦共産党極東地方委員会、極東地方執行委員会および内務人民委員部極東地方管理局に対し、極東地方の国境地区、すなわちポシエット、モロトフ、グロデコヴォ、ハンカ、ホロリ、チェルニゴフカ、スパッスク、シュマコフ、ポストゥイシェフ、ビキン、ヴャゼムスキー、ハバロフスク、スイフン、キーロフスキー、カリーニン、ラゾ、スヴォボードヌィ、ブラゴヴェシチェンスク、タムボフカ、ミハイロフカ、アルハラ、スターリン、ブリュッヘロヴォ各地区の朝鮮人住民すべてを、[カザフ・ソビエト社会主義共和国の]南カザフスタン州、アラル海とバルハシュ[湖周辺]地区、およびウズベク・ソビエト社会主義共和国へ移住させることを命ずる。  移住は、ポシエット地区およびグロデコヴォに隣接する諸地区から開始すること。
直ちに移住に着手し、1938年1月1日までに完了すること。
移住を要する朝鮮人には、移住のさいに財産、家財道具および家禽の携行を許可すること。
移住させられる者には、彼らの残した動産、不動産および播種地に相当する金額を補償すること。
移住させられる朝鮮人が希望により国外へ出ようとする場合は、簡略化した国境通過手続きを容認し、出国を妨害しないこと。
ソ連内務人民委員部は、移住のさい朝鮮人側から起こりうる違法行為および騒動に対処する措置をとること。
カザフ・ソビエト社会主義共和国およびウズベク・ソビエト社会主義共和国の人民委員会議に対し、直ちに受け入れ定住地区・地点を決定し、移住者が新しい場所で生活に順応することができるよう対策を立て、必要な援助を行うよう命ずる。
交通人民委員部に対し、極東地方執行委員会の申請に応じて、極東地方からカザフ・ソビエト社会主義共和国およびウズベク・ソビエト社会主義共和国へ移住させる朝鮮人とその財産を運搬するため、車両を適時配車するよう命ずる。
全連邦共産党極東地方委員会および極東地方執行委員会に対し、移住を要する世帯数と人数を3日以内に報告するよう命ずる。
移住の進行状況、移住実施地区から送り出された人数、居住地区に到着した人数、および出国した者の人数を、10日ごとに電報で報告すること。
朝鮮人の移住が実施されている地区の国境警備を強化するため、国境警備隊の兵力を3000名増員すること。
ソ連内務人民委員部に対し、朝鮮人が明け渡した住居に国境警備兵を住まわせることを許可する。
ソ連人民委員会議議長 .モロトフ
全連邦共産党中央委員会書記 .スターリン」

実行は9月9日から23日まで。第二弾は9月24日から10月3日までだった。強制移住は78000人に及んだ。
当時の資料を見ると、人員収納用有蓋車、貨物用の有蓋車、他に無蓋車、客車、衛生車、炊事車が1両づつで列車が組まれていた。ほとんどが50~60両のもので、運ばれた人数は1000人~2000人程度で、一車両には平均して26~30人、5~7家族が乗せられていたという。
実際問題、文書には「1月1日まで」という通達があったが、それどころではない。なんらかの抵抗が起きる前になかり強制的に実施されたようだ。
記録を見ると、担当者であるエジョフ内務人民委員はリュシコフ内務人民委員部極東管理局長に「朝鮮人の移住作戦は10月前半に終了することが望ましい」という電報を流している。これを受けてリュシコフは「移住は1カ月半以内に、またポシエット地区およびグロデコヴォ地区近辺からは1カ月以内に行う」と回答している。結果として見ると、ほぼ1か月ていどで移住の大半は終了しているのだ。

その背景にあったのは、エジョフ内務人民委員の「朝鮮人=日本人スパイ」疑惑である。
ニコライ・イヴァーノヴィチ・エジョフは、スターリンに対する忠実な支持者だった。NKVDの長を務めたこともある。エジョフの身長は短躯(約150cm)でその残忍な性格から「毒入りの小人」「血まみれの小人」などと呼ばれていた。
ニコライ・ブハーリンが書いた「古参ボリシェビキの書簡」にこうある。

「私の長い生涯のあいだに、エジョフ以上に嫌悪感を起こさせる人間には会ったことがない。私は彼を見るたびに、ある光景を連想せずにはいられない。それは、ラステラヴェヤ通りの公園にいる悪ガキどもだ。彼らのお気に入りの遊びは、パラフィン油に浸した紙を猫の尻尾に結びつけて、それに火をつけることだ。 彼らは、恐怖に陥った猫が、火から逃れようと必死に)、通りを引っ掻き回す様子を見て喜ぶのである。私は、エジョフが子供の頃にこんなふうに楽しんでいたであろうこと、そして今も、形は違えど、同じことをし続けて楽しんでいることを、いささかも疑わない」とある。
37年の強制移住には、このエジョフの残忍な猜疑心の強い性格が大きく寄与していたとしか思えない。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました