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夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#33/ローヌ川経済圏01

https://www.youtube.com/watch?v=Gv8Or2x-8iI&t=29s

SNCF/TERでGare de OrangeからTain-l'Hermitageまで1時間5分。一日5本程度は走っている。
https://www.thetrainline.com/
オランジュのSNCF駅に向かって歩いてると、嫁さんが言った。
「フランスって何処も村や町から少し離れたところに駅を作るのね。どうしてかしら」
「鉄道は人の移動よりモノの移動を中心に考えられたから・・かもしれないな。フランスの鉄路は、イギリスやアメリカからみると始まりが遅いんだ。1827年にサン・テティエンヌ・アンジューSaint-Étienne・Andrézieux-Bouthéon鉄道が最初だ。鉱山鉄道で私鉄だった。距離は20kmあまりだ。サン・テティエンヌはリヨンの南西にある町だよ。炭鉱の町だ。1800年代まではフランスで使われる炭鉱の1/2は、この町から出されていたんだ。
・・博物館があったな。Musée de la Mine(Rue du Puits Gallois, 42390 Villars)リヨンからジエ川Gierに沿って走るルートで1時間くらいかかる。ジエ川Gierに沿って走る道だったな」

「行ったの?」
「ん。あの辺りはフランス中央山塊Massif centralでリヨネ山地、ピラ山地で覆われていてね、サン・テティエンヌ/サン・シャモン/リヴ・ド・ジエという町があるよ。フランス中央部で最も山深い所だ。まだ完全に眠っていないシェーヌ・デ・ピュイ火山群がある。実はこの山塊を挟んで右側にローヌ川、左側にロアール川があるんだ。二つの大河の最接近地でもあるんだよ。だからこの地域は、早くからこの二つのロジスティックを繋ぐ場所として重要なポイントだったんだ」

「サン・シャモンってサン・ジェロンとは違うの?」
「おおお、いいトコ突くね。僕が大好きな天然炭酸の地、サンジェロンEAUX DE SAINT GERON(Pré Grand, 43360 Saint-Géron)はすぐ傍だよ」

「行ったの?」
「もちろん行った。同じくサン・シャモンも実はローマ時代から水源として利用されているんだ」
「ふうん。色々なところ、行ってるのね~それ仕事?」
「・・で、サン・テティエンヌはローヌ川とロアール川どちらの川にも石炭を送りだしていた。ローヌ川側まではジボールGivorsという町へ送り出していた。距離は50kmあまり東だ。1781年にリヴ・ド・ジエRive-de-Gier からジボールまでを結ぶ運河Givors Canalが作られている。これも石炭を運ぶために作られたものだ。
と・・考えると判るだろ?」
「なにが?仕事で歩いてるのか、遊びなのか・・が?」
「違う。ローヌ川は、西のフランス中央山塊Massif centralに沿ってフランスを中央部を南北に縦断している川だということさ。この川が欧州南部と北部を繋ぐ大動脈なんだ。
もともとローヌRhoneという名前は、ケルト語のRotoもしくはRodoだと云われている。ギリシャ人はこれをロダノスRhodanosと呼んでいた。ローマはロダヌスflumen Rhodanusと呼んでいたんだ。
僕らはそのヨーロッパの最も重要な大動脈に沿って北上しているところだよ」

オランジュのSNCF駅も、列車到着まで改札から中には入れない。15分くらい前になると駅員がドアを開けた。
ホームに立ってしばらく待っているとTERがゆっくりと入って来た。乗降客は意外に多い。
「PLMというんだけどね、Chemins de fer Paris-Lyon-Méditerranée。パリとリヨンと地中海マルセイユを繋ぐ路線が作られたのは1858年から1862年の間だ。150年ほど前の話だ。国有化したのは1938年でSNCF(Société Nationale des Chemins de fer Français)になった」
「あら!SNCFってそういう意味だったの?知らなかったわ」
「昔はサンラザールにPLMの本社が有って、その本拠地なんだけど、モンパルナスが大整備して、今はアッチに移ったな。・・という訳で、ローヌ川は鉄道路線としてもごく初期に開発されたものだったんだ。
実は、これがワイン流通の世界を大きく替えたんだ。今のワイン業界の構造を作ったのはローヌ川とロアール川、そしてセーヌ河を結ぶ運河の開発と、この鉄道路線の建築なんだよ」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました