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東京ローズ#01

昭和20年9月16日読売報知新聞に小さな囲み記事がある。
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「東京のバラ」米国へ連行か
【同盟】桑港放送=ロサンゼルス十三日発
聯邦検事チャールス・カー氏は十三日次の通り言明した
『東京のバラ』として知られてゐる戸栗アイバを反逆罪の廉を以ってロサンゼルスで裁判するために余は彼女の身柄引き渡しを求めるであらう、余は目下検事総長トム・クラーク氏に對し、戸栗を現在彼女が軍事的拘禁を受けてゐる東京からロサンゼルスに移す件につき許可を求めてゐるところである。
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東京ローズを日本人で知る人は稀だった。ニュースとしての価値は極めて低かったのだと思う。同盟通信経由の外電として記事にしているのは唯一これだけである。

しかし、太平洋戦線に参加した連合軍兵士にも東京ローズを知らないは居なかったはずだ。マッカーサーでさえ、マニラで彼女の声を聴いている。そして「魅惑的な声だ」とコメントしている。
東京ローズは、日本の対連合軍向けのプロパガンダ放送「ゼロアワー」に出演していた女性アナウンサーにつけられたニックネームである。制作は駿河台に有った文化学院を接収して設置された陸軍参謀本部駿河台分室でされていた。放送開始は1942年4月2日13時から。30分番組であった。その放送は終戦前夜まで続いている。

女性アナウンサーによるDJは以下の言葉から始まる。
"Good evening, my fellow orphans in the Pacific"
「こんばんわ。太平洋の孤児さんたち。」
番組は、JAZZを中心にした軽音楽と彼女たちのおしゃべりで構築されていた。内容は・・

「ジス・イズ・ゼロアワー・・・フローム・トウキョウ。アメリカ海兵隊の皆さん、大きなお船の中はさぞかし快適でしょうね。でも、もうすぐ海の底に沈んでしまうと思えば可哀想な気もするわ。今も特殊潜航艇があなた方の船のすぐ下に忍び寄っていますよ。それに体当たりの飛行機も数え切れないくらい用意されているわ。アメリカの水兵の皆さん、こんなムダな戦争で命を落としてはいけないわ。みなしごになるより、今すぐママのお国に帰った方がお利口さんじゃないかしら」
「親愛なるアメリカ軍の皆様、硫黄島攻略ははかどっていますか? 今日はいいお天気なのに、何人の水兵さんが命を落とすことになるのでしょうね。島にはたくさんの日本兵があなたたちを殺そうと待ち構えているのですよ 」
ハスキーボイスで語られる内容は、毒に満ちたものであった。しかし内容がどうであれ、連合軍兵士たちは、その声と流れる音楽に熱狂した。
放送の中で、アナウンサーは「孤児のアン」と名乗っていたが、いつの間にか兵士たちの間では「東京ローズ」と呼ばれるようになっていた。
東京ローズが流すDJは、知的でシニカルで様々な話題が詰め込まれていたが、ときおりきわめてリアルなものも挿入された。
「第25海兵師団のスミス兵曹さん、明日はあなたの23回目の誕生日よね。少し早いけどお祝いの言葉をプレゼントします。一日でも多く長生きしてね。それと・・・ビンセント伍長さん、あなたの田舎のスプリングフィールドでは、雪が積もって男手が足りないみたい。それにお父さんの牧場ではまた子馬が産まれたそうよ。無事に帰れてかわいい子馬が見れることを祈ってるわ」
また。こんな放送もあった。
「ウルシーのみなさま、ごきげんよう。そこは穏やかで快適なところですね。今夜は面白いプレゼントを用意しています。もうしばらくお待ちくださいね 」
このときは、そのまま番組が中断した。そして15分後。海面すれすれに飛んで来た特攻機が停泊中の空母に突っ込んだのだ。空母は大音響とともにものすごい火炎を吹き上げた。この攻撃では米兵140名が死傷した。

日本軍のカミカゼ・アタックは、彼らの常識を超える戦法だ。米兵は何よりもそれを恐れていた。突撃で艦上に散る肉片に、狂気に陥ってしまう兵士が出たくらいだった。。
このカミカゼ・アタックと東京ローズとのコンビネーションは凄まじかった。
1945年4月6日。定例の「ゼロ・アワー」放送時間でないときに、唐突に東京ローズのDJが始まった。
「大好きな海兵隊の皆さま。太平洋軍の皆さま。ようこそ沖縄にいらっしゃいました。あなたたちは直接日本本土へ来る自信がないので、小さな島・沖縄にいらしたんですね。でも、忘れないでね。あの、もっともっと小さい島・硫黄島でさえ、あなたたちは20万人の命を犠牲にしなければ、私たちから奪えなかったんです。沖縄は?何百万人の若い人たちが、そこで死ぬのかしら。何度も言ってるけど、あなたたちの指導者たちは偉大でも高潔でもないんです。え?でも命令だから仕方ない?・・そう。だったら私たちから特別なプレゼントを差し上げます。私たちは、あなたたちを歓迎しますわ」
放送後、突然、日本軍からの砲撃が止んだ。
「ひどく不気味だった。何かが始まると思った。地獄の使者がくると思った。」米上陸軍総指揮官だったウイリアム少将が、のちにニューヨーク・ヘラルド紙のインタビューに答えている。
「私は、主力部隊の上陸は一時見合わせよ、と上申した。しかし私の上申は無視された。」
その"地獄の使者"は、海軍レーダー網を海面すれすれに飛んで逃れて突っ込んできた88機の特攻隊だった。
防ぐ余裕も方法もなかった。一番機は勢い余って海中に飛び込んだが、二番機から五番機が空母ホーネットへ激突。
88機のうち、46機が命中。米艦隊と上陸部隊・海兵隊は一瞬のうちに炎に包まれてしまった。米軍の被害は空母二隻・戦艦一隻・重巡洋艦三隻・輸送船三隻・無数の上陸用艇という惨々たるものだった

東京ローズの囁きは、正に魔女の囁きだったのだ。
その魔女の囁きに、兵士たちは魅了された

敗戦色が強くなった後も「ゼロアワー」の放送は続けられた。しかし8月6/8日の新型爆弾投下以降は、放送スタッフも混乱に陥っていた。
放送は終戦の前日8月14日で終わる。その最後の放送で東京ローズはこう言った。
「米国のみなさん、あんな残虐な爆弾をおとすなんて!あたくしはあなた方を敵ではあっても紳士だとしんじていましたのに、その気持ちが完全に裏切られてしまいました。
日本はこれで敗れるでしょう。でもあなた方アメリカ人に対して、何十年か何世紀かののち、歴史が正しい裁きをくだすことでしょう。それを信じつつ、東京からの最後の放送を終わります。こちらはトーキョー・ローズ……こちらはトーキョー・ローズ。」
この放送は当時ソ連軍の進出を警戒して日本海まで侵入していた米海軍の駆逐艦によって、不十分ながら録音されていた。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました