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東京島嶼まぼろし散歩#14/隼人の島を見つめて07

「東伊豆に河津町という町がある。伊東と下田のちょうど真ん中で、東伊豆町の隣だ。目の前に大きく大島が見える。」
「ふうん」
「何度も通ったことあるよ。天城山系から流れてくる河津川がある。川に沿って姫宮遺跡、春蔵遺跡、長坂遺跡がある。古い町だ。湯ヶ野温泉は川端康成の「伊豆の踊子」の舞台だ。白浜神社が有って、その本殿の裏山に海が一望できる古代祭祀遺跡がある。見に行ったことがあるよ」
「へえ」
「伊豆一周ツーリングで東伊豆側で川にぶつかってすぐ右に曲がる場所だ」
「憶えてない」
「ん~その河津町に見高段間遺跡というのがある。ここが神津島から送られてきた黒曜石の陸揚げ地だったんだ。水利として河津川があったから、ここからさらに南関東や伊豆の各地に運ばれたんだろうな」
「遺跡で黒曜石が見つかったの?」
「うん。20kgちかい原石が見つかったり、1978年の調査では254kgもの黒曜石の塊が見つかった。ここに陸揚げされてから、小さく分けられて各地へ運ばれたんだろうな。ちなみに黒曜石塊は段間にある町立見高小学校の資料室に展示されているよ。この小学校には復元住居がある」
「行ったの?」
「ん。前にウチのオートバイクラブで白浜Meetingしたことあるだろ?あのときに行った。」
「へえ、マメに一人で色々行ってるのね。ふうん・・でも神津島から黒曜石を運んだのはカヌーでしょ?河津町までどのくらい離れているの?」
「海上100kmは離れていない。それに伊豆諸島と伊豆半島の間には相模湾流と呼ばれる黒潮の分流が流れてる。これに乗ったんだろう。でもいずれにしても丸木舟だ。一度に運べる大きさも量も限られていたと思うよ」
「でも500kgなんてもあるんでしょ?」
「命がけだったろう。実は河津町の沿岸には大量の黒曜石が沈んでいるんだ。これを海底遺跡として指定しようという動きもある」
「命がけで運ぶほどの価値があったのね」

「ん・・ところが・・これがだな・・鬼頭カルデラ大爆発以降途絶えているんだ。神津島を含めて伊豆小笠原諸島で発見されるのは縄文時代早期・晩期、弥生時代の遺跡以降のものなんだ。おそらく無人化したんだろうな。しかしその段階で段間遺跡には既に相当の量がストックされていたんだと思う。それ以降も神津島産黒曜石の第1次荷揚地として機能していた」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました