見出し画像

佐伯米子#08

ガス事故によって祐三と娘弥智子は深く後遺症が残った。しかし米子は無事だった。これが祐三に不審と妄想をもたらした。落合莞爾は『佐伯の書き置き』の中で「佐伯は、ガスのことは、あれは事故ではありません。米子サンが ガスの栓開きに行ったのを ワシは見ました。不思議に思いますが恐ろしいとは思いませんでした、と言っている。」と書いている。
この言葉が真実か祐三の妄想か・・今となっては分からない。それでも祐三がそんなことを言い出すことからも、如何ほど二人の関係が壊れていたか良く伺える。

薩摩千代子の呪縛から逃れるため、米子は転居を決心した。そしてリュ・ド・ヴァンヴ5の西向き4階3部屋の家に越したのは1928年3月13日。相変わらず4階までの昇り降りは米子に辛かったが、米子は逡巡しなかった。
そのときのことを里見勝蔵はこう書く。
「春の初め、モンパルナスの駅の裏のレスト街にある、荒れた小さな三室のアパートに転居したが、ここでは、もう佐伯は一度も筆をとることはできなかった。」
米子は祐三に離婚を迫っていた。その条件として「書きかけのキャンバスを300枚譲ること」としていた。
転居2日後、祐三は離婚を承認すると、そのまま写生旅行に出かけた。おそらく米子の強圧的な態度が耐えられなかったんだろう・・祐三は以下のような手紙を薩摩千代子に残している。
「今日朝、俺は離別を決めました。米子サンに リベツの事 云いました。  
俺のリベツは、俺の画を もっと良くするためです。米子サンから タブローのこと、口出しされないためです。荻須と千代子サンともへだてた 俺の仕事のためです。俺の命のためです。」
このモンマーニュへの写生旅行から戻ると、祐三は体調/精神状態を著しく崩した。ほとんど寝たきりの状態が続いた。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました