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東京ローズ#02


マッカーサーと共に入ってきた米系報道陣は3人の人物のインタビューを狙っていた。
ひとつは昭和天皇。ひとつは東条英機。そして東京ローズである。
それほど東京ローズの名前は連合軍の間に知れ渡っていた。
前者2人のインタビューは不可能だ。可能なのは東京ローズだけだ。
しかし「ゼロアワー」に関与した人たちは、誰も東京ローズについては黙秘した。もし知られれば絶対に反逆罪として捕らえられると思ったからだ。
そこで報道陣たちは、新聞に「名乗り出れば5000ドルの報奨金」という広告を出した。
それに応えた女性がいた。アイバ「郁子」戸栗である。アメリカ国籍の女性だ。
彼女は1916年カルフォルニアで生まれている。両親は同地で雑貨商を営んでいた。大学卒業後、祖父の故郷・長野を訪れているときに開戦。そのまま帰国できなくなってしまった。
当時、外国籍の者は、男性は全て開戦と共に拘束。敵国人抑留所に入れられた。そして資産は全て「敵産管理法」を適用されて没収された。1942年中に拘留枠は女性にも及び、1943年には老人・子供までもすべて拘留されるようになっていた。
アイバが拘留されなかったのは、彼女がオランダ人宣教師の紹介で同盟通信社で翻訳とタイピングの仕事に就いていたからだった。はじめ彼女は「ゼロアワー」のための原稿の英訳を任されていた。それがDJもするようになったのは、米軍向けにアメリカ語を話せる女性アナウンサーの拡充を軍が望んだからだ。こうしてアイバは「孤児のアン」という名前でDJをするようになった。
この時期、アイバは何度も日本へ帰化することを勧められている。しかし彼女は頑なにそれを拒否し続けた。おそらく戦争が終われば、アメリカの両親の許へ帰るつもりだったんだろう。
そして終戦。彼女は失職した。
しかしそこに「東京ローズをさがせ!」の新聞記事。それを見てアイバは、これで米国に暮らす両親の許に帰れると思ったに違いない。
彼女は詳細なコメントを、インタビューで答えた。その内容から、彼女が東京ローズであることは間違いないと判断された。
しかし報奨金をもらう直前に、アイバはMPに逮捕されてしまう。
アイバ戸栗はアメリカ国籍である。これは充分国家反逆罪に成りうる。
日本へ帰化しなかったことが、見事に裏目に出たのだ。
こうして彼女は数奇な運命に巻き込まれてしまう。
彼女は軽い気持ちで名乗り出たのに違いない。しかし時代はそれを許さなかった。彼女は米国に強制連行され、そこで裁判を受けることになる。そしてアメリカ国籍を剥奪された上に、懲役10年という刑を科せられてしまうのである。
実は、東京ローズはアイバ戸栗だけではない。常時4人いた。1回だけの出演というなら27名いたといわれる。しかしアイバが、いとも簡単に拘留されたことも相まって、その実名は関係者の口からも本人たちの口からも、全く出なくなってしまった。現在に至っても、アイバ戸栗以外に東京ローズとしてDJしてたと解かっているのは、日系カナダ人のジェーン須山だけだ。
彼女はカナダ人だったので、アメリカには逮捕権がない・・ということになっている。
実は声紋を見ると「孤児アン」と名乗っていたアイバ戸栗より、はるかに多くDJとしてマイクの前にいたのは、間違いなくジェーン須山なのだ。ハスキーな甘い誘惑に満ちた、米兵を魅了した声の主は、ジェーン須山だ。
しかしアイバの裁判が進んでいるとき、1949年7月18日。横浜で米兵が運転する車に轢かれて死亡してしまう。これは大きな疑問を残した。
ジェーン須山とは何者だったのか・・という疑問だ。
特に初期の「ゼロアワー」のDJの中に、幾つもの奇妙な符丁のようなキーワードが混ぜられているからだ。
そのためにジェーン須山とOSS(Office of Strategic Services戦略事務局)を結び付ける研究者もいる。
僕自身も、実はジェーン須山の交通事故の陰に、下山事件、帝銀事件などと同じOSSの臭いを感じてならない。
OSSは、1947年に成立した国家安全保障法により改組されCIAとして生まれ変わっている。



無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました