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東京島嶼まぼろし散歩#01/日本列島に住むヒトたち#01

「関東地方にはそんなに渡来人が沢山入ったの?浅草の話の時もそうでしょ?常陸の牧馬もそうでしょ?下総も上総も渡来人が多かったの?」
「忌部氏とか秦氏とかの地方拡散は間違いなく有った。そのほかにも中央で政権に絡めなかった人々が地方へ流れたことは否めない」
「そんなに沢山の渡来人が日本へ渡ってきたの?」
東大の先生をやってた埴原先生が100万人という説を出してる」
「100万人!」
「紀元前500年から紀元後500年くらいの間でな。反論する学者もいるが、当時の人口拡大量を考えると、どう考えても自然増だけでは考えられない。充分その可能性はあるだろうな。
先生は存命のころ、第35回日本老年医学会総会で特別講演を開いている。

1993年だ。この講演でも先生は『渡来人100万人説』に触れているよ。・・埴原先生といえば『二重構造モデル』で著名な方だ」
「二重構造モデル?」
「現代日本人の起源/成立のモデルだ。先生は、先住していた南方系縄文人の分布の上に渡来してきた北方系弥生人の分布が被さる形で混血したことによって現代日本人が成立し、今も混血が進行中であると提唱されている。
更新世末期というと1~3万年くらい前だな。東アジア全体に南方系と考えられるアジア人が分布していた。そこに1万年くらいから急速に北方系と言われるアジア人が入り込んできたんだ。そして、その二つの流れがそのまま日本へ流れこんできた。縄文人は南方系の先住集団であり、弥生人は北方系の移植者だという話だ・近年のDNAを使った実験でも、この説は追証されてるよ」
「え?え?え?二重構造モデルというのは、渡来人がどうやって入ってきたか?という話じゃないの??」
「あ。話が分かりにくいな。埴原先生の二重構造モデルというのは、日本に統一王朝をもたらした紀元前5世紀からの1000年の間に入ってきた渡来人のことじゃない。もっと古い・・1万年前から3万年に入ってきた縄文人/弥生人の話さ。彼らも"渡来人"だ。縄文人も弥生人も日本列島の中で自然発生的に原住民の末裔じゃなくて、外から入ってきた人々だったということ・・だ。
しかし・・この"渡来人"という用語を、そのまま縄文人/弥生人に使うと・・判り難いな。むしろ"大陸からの移住者"と言った方がリアルかな。"渡来"という用語は、元来から使われていた"帰化"という言葉の明治版だ。"帰化"という言葉の背景には先ず日本国があって、そこへ海外からガイコクジンが引っ越ししてきたという発想が張り付いている。日本へ帰属するために来たガイジンという視座だ。・・それをもっとグローバルな視点から見るべきだということで造語されたのが"渡来人"なんだよ。でもやっぱり"渡来"という言葉には相変わらず"帰化"という視座が張り付いている。むしろもっと簡単に"大陸からの移住者"と呼ぶ方がラクかもしれない。
所詮、たかが用語だが、されど用語なんだ。用語は背景に色々なデバイトが輻輳的にくっついていて、使う者の視座を狂わしてしまうことがママある」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました