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システムとインフォメーション

投げられたボールは、幾つかの要素を含んだ放物線を通って飛ぶ。要素が過多になると、描かれる放物線は予測しにくくなる。しかし放物線を通って進むことには変わらない。・・これを俯瞰的に見ると・・投げられたボールは必ず放物線を通って飛ぶ。これをシステムと呼びたい。
では聞きたい。ボールを投げた人が悪党だったらどうだろうか?あるいは悪意をもって投げたらどうだろうか?放物線を描かないように投げたらどうか? ボールは放物線を描かないで飛ぶのか?
誰が。どんな意図で。・・投げたか?これをインフォメーションと呼ぼう。

システム至上で見るならば、インフォメーションは"要素"のひとつでしかない。つまりそれは「解析可能で」ボールは投げたやつが誰であろうと必ず"起きるべく道を通って"落下する。つまりそれは、天からの視点であり「果」をもって「因」を見る。
インフォメーション至上で見るならば、最も重要なのは"誰がどんな意図"をもって投げたかであって、"どう飛ぶか"は幾らでもコントロールできる。重要なのは「どうコントロールできるか?」である。つまりそれは、地からの視点であり「因」からすべての「果」が生まれるということだ。

描かれた放物線が「コントロール下にある」ならば・・インフォメーション至上(主義)のいう通り、事態は「意図した者のまま」に動く。
コントロールできないほど「不定要素」が多い場合は?「因」は"意図者"の手を離れて、システム至上のいう通り自然の摂理に沿って進行する。
・・このモデリングで、経営/経済/政局を見つめてみると、どうだろうか?

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました