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東京島嶼まぼろし散歩#12/隼人の島を見つめて05

https://www.youtube.com/watch?v=R8rpRKL8lvI

ホテルのラウンジから桟橋を離れていく汽船を見つめた。静かなロビーで日曜日だった。客は僕らを含めても数人だった。
「徐福の話、憶えているだろ?」
「秦の始皇帝を説得して日本へ数千人の若者をつれて渡った人でしょ。熊野速玉神宮を訪ねて新宮へ行ったときにお墓が有ったわね」
「ん。あそこにたどり着いたかどうかの真偽はわからない。他にも徐福上陸の地はあるからな。でも彼の話が載っている古文献には日本とは書いてないんだよ。『三国志・呉志・孫権伝』には 「亶州は海中にあり、長老伝へていう。秦始皇帝、方士徐福を遣わし、童男女数千人を率い、海に入りて蓬莱神山および仙薬を求めしむ。この洲に止まりて還らず。世々相承けて数万戸あり。その土人民、時に会稽に至りて貨布するものあり。会稽東(冶)県の人も海行し、また風に遭い、移りて亶州に至るものあり。所在は絶遠し、得て至るべからず。ただ夷州の数千人を得て還る」とある。亶州だ」
「亶州が日本なの?」
「いや台湾と言われてる。でもこれもはっきりはしない。東洋学の碩学白鳥庫吉先生は、フィリピンあるいは種子島という説をだされている。種子島の広田遺跡で発掘された彫刻を施した貝製の装身具・・貝札というんだが、その文様が三国時代の隷書体なんだよ。徐福は江南の人だ。彼の時代になっても江南から東シナ海を渡り琉球列島を抜けて日本へ進むルートが、まだ確実に存在してたんだろうな。」
「そこに速い速度で北に流れる黒潮があった・・というわけ」
「ん。黒潮に乗れば琉球列島にたどり着くまで10日前後だろう。一方通行だが、この航海ルートは絶対にあったと思うな」
「でも鬼界カルデラの大爆発で一時は完全に途絶えた。でも北九州へ朝鮮半島から入るルートはそのまま残った。それが弥生人の道だった・・ということね」
「ん。いいとこ突くな。そのとおりだ
7300年前。鬼界カルデラの大爆発で、黒潮の道を通って日本列島へ入った古アジア人は、一夜のうちに全滅した。でもそれが縄文人の全てではなかった。紀伊半島より東へ進んだ人たち、そして日本海側へ広がった人たちは生き残ったんだ。そして暫時それぞれの土地に馴染んだ。それが縄文人だ。多くはスンダランド出身を祖型としており、歯形はスンドトント歯列だ」
「しゃあ、伊豆諸島・小笠原諸島のひとたちは?」
「スンドトント歯列だ。もちろん非スンドランド系も多数入っている。伊豆諸島・小笠原諸島は流罪の地だったからな。沢山の人々が各地から流されているんだ。しかし祖型を作り上げたのは原アジア人・スンダランドから北へ流れて行った/海を道として広がっていった隼人たちだ」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました