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東京島嶼まぼろし散歩#31/伊豆諸島11


ストランを出た後、自販機でビールとおつまみを買って部屋に戻った。
東海汽船のパンフレットを見ながら嫁さんが言った。
「へえ、八丈からの帰りは大島でジェット船に乗り換えという手は有るのね。何時間か早くなるのかしら。それもいいわね」
「ん~それも思ったんだけどな。急いで帰る旅でもあるまい。部屋でのそのそビール飲みながら暗くなっていく海を見るのも良いかなぁって思ったんだ。」
「なるほどねぇ。それにまだまだ戦争のはなしがあるんでしょ? 」
「・・はい。すいません。ビール、お開け致します。つまみも開けます」
「よろしい。ういやつじゃ」
僕はベッドにしゃがんだ嫁さんにビールを渡して、自分はテーブルへ座った。
「8月15日の降伏宣言の後、米軍は捕虜解放のために海兵隊を送った。そして9月3日、父島へ駆逐艦ダンラップUSS Dunlap(DD-384)が入港し艦上で降伏文書の調印が行われた。米戦艦ミズーリ号で降伏文書が交わされたのは9月2日だ。宮古島での降伏文書の調印は9月7日だった。」
「そんなに降伏文書は何度も交わされたの?」
「降伏というより投降だな。最前線で日本軍は 『参りました宣言』をしたということさ。フィリピンは9月3日/蘭印は9月5日/ラバウル9月8日/ボルネオと南方軍が9月9日/ビルマは9月12日/ニューギニヤ9月13日/香港は9月16日だった。半月ほどで日本軍の大半が投降を終えた。実はね・・ここでちょっと注意した方が良いのは、硫黄島から小笠原/伊豆諸島を担当したのがマッカーサー指揮下にある(マニラに拠点を置いた)太平洋アメリカ陸軍(AFPAC)じゃなかったということだ」
「え~マッカーサーが総司令官だったんでしょ?」
「違う。彼に日本の統治が委ねられたのは、日本が敗戦し米国に統治されたときからだ。戦時中は、米海軍・米陸軍が、はっきりとした切り分けではないが夫々に担当地区があった。
グアムサイパンを含めて太平洋地域は、アメリカ海軍のチェスター・ウィリアム・ニミッツChester William Nimitzの指令下に有った。マッカーサーの支配下じゃ無かったんだよ。8月26日に大森にあった捕虜収容所の開放へ向かった海兵隊もそうだ。ニミッツ提督の管理下に有った。
僕は思うんだが、GHQの日本国支配構造の中に、伊豆諸島/小笠原諸島についての配慮が殆どない理由は・・これだろうな。マッカーサーは日本の所有してた島々は"知ったこっちゃない"つもりだったんだ」
「でもマッカーサーの軍が日本に入ったのは飛行機だけじゃなく船舶でしょ?海軍のものでしょ?」
「そうだ。日本軍の薩長対立みたいな陸海軍の対立までには至っていない。それでも確執は有った」
「オトコノコの陣取り合戦ね」
「まあ、そういうこった。それでも"ではどう日本を制覇する"という点では一致していたと思う。一致していなかったのはトルーマン政権の方だ。彼らは日本全土を米国一国で支配統括するにはあまりにも経費がかかると思っていたんだ。実は日本国を分断して数カ国によって支配しようという発想は彼らから出ている」
「あなたの云う"政治屋は血を流していないから"ということ??」
「まさにその通りだ。しかし分断となると・・スターリンが牙を剥き始めた。もし屍肉喰らいのスターリンが日本の1/4あるいは1/3を統治すれば・・これは数年のうちに新しい戦争への火蓋になりうるな・・トルーマンは"こいつは、経費がかかりすぎるなんぞという話じゃねぇな"と思い始めた。しかしスターリンたちと裏で交わした約束を反故にすれば、それこそ"ソレが戦争への火蓋になりうる"・・と」
「ソ連と戦った時、絶対に勝てるモノがトルーマンは欲しかったわけね。それが原爆ね」
「そうだ。実験ではなく、実際に使用して見せるしかなかった。トルーマンはこれでスターリンを押さえつけた。しかしだからといって米国一国が日本を統一管理するには経費がかかりすぎることは変わらない」
「それでもトルーマンはやろうとしたわけ?」
「軍政だよ。軍事的支配だ。可能な限り日本国を縮小させて・・九州・四国・本州・北海道だけにして、これを米軍に支配させたんだ。マッカーサーもミニッツも政治屋たちが云う『日本分断統治案』を苦々しく思っていたからな。トルーマンは日本の支配を米軍/マッカーサーに任したんだ。軍政が上手く行けば良し。だめなら責任は軍におっかぶせる。。というわけだ。トルーマンは大嫌いだったマッカーサーに軍事的支配を命じた理由はこれだ。マッカーサーは請けた。
そしてそれを輔弼するために米国からは大量のニューディラーが日本へ渡った。悉く軍人としてね。政治家ではない」
「ニューディラー?」
「FDRのニューディール政策の賛同者と加担者たちだ。左翼的で"ピンキー"と呼ばれた。彼らが軍人として本土から大量に日本に入った。日本を統治した具体的作業は彼らが担当したんだ」
「それがマッカーサーのGHQ?」
「GHQで主導権と采配を握ったのは、マニラからマッカーサーと共に日本と戦った人々ではないよ。主体は米国から回ってきたピンキーたちだ。
おそらく・・マッカーサーは日本の統治に深く首を突っ込むつもりはなかったと思うな。彼の当時の言動をみると、日本が自律管理できれば、さっさと米国へ帰るつもりでいたんだ。そして大統領選に第二次世界大戦の英雄として出るつもりでいたんだ。しかし・・ここでまたスターリンだ」
「スターリンが何かしたの?」

「北海道が取れなかったスターリンが高麗系ロシア人中尉を神輿に載せて朝鮮半島で戦争を始めたんだよ。その高麗系ロシア人中尉に金日成という名前を付けてね。当時の朝鮮は、日本軍が撤収した後、米国へ逃げていた両班たちが続々と朝鮮半島に入り、結局はいつもの"骨肉の争い"を初めていた・・やっこ豆腐といっしょでね。はじめ四角であとはグズグスになっていた。これに金日成は食いついたんだ。」
「金日成って、ロシア人だったの?!」
「ん。高麗系ロシア人で極東方面警備に従事する軍人だった。あのあたりの高麗人は、大半が中央カスピ海当たりあったコルホーズに強制移動されていたんだがな、軍人になった高麗人は同地に残っていたんだよ。そして軍人になった高麗人たちはバリバリの共産党員だったんだ」
「なるほどねぇ~コリョサラムにならなかった人たちねぇ。それもまた哀しい話ね」

「そのとき朝鮮半島は、日本軍が居なくなったんで当然軍備は持っていなかった。不穏者を捕まえる警察だけだった。そこにソ連製の最新兵器を持った金日成が流れ込んだんだ。戦いはあっという間に金日成優勢になった。スターリンはニヤニヤ笑っただろうな。これに鉄槌をくらわしたのがマッカーサーのインチョン攻撃だ。・・それが結局は6年間に渡るGHQによる軍事支配体制に繋がっていったわけだ。まるでタペストリーのように色々なものが繋がって日本は翻弄されて行ったんだよ」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました