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夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#51/おわりにローヌ渓谷を見つめて#02

「陸路の拡散に海路が重なったのは5000年ほど前からだ。チグリスユーフラテス文明とエジプト文明を仲介する地帯が地中海東海岸レバント地方に出来てからだ。最も力を得たのはフェニキア人だろう。彼らは操船術を能くした。その技術で二つの文明のハブとして繁栄した人々だ」
「フェニキア人という名前は何度も何度も出てくるわね」
「交易と航海の民だ。だから彼らは、算術と文字での記録を編み上げた。ベースはオリエントの方法だが、これから独自の22の子音からなるフェニキア文字を作り上げた。きわめて簡便で機能的な文字だ。これがアルファベットの起源になってる。隆盛時、彼らは大西洋からインド洋まで行動範囲を広げていた。ギリシャにある幾つもの海岸、北アフリカのカルタゴ、そしてイベリア半島まで自分たちの街を作り上げた人々だ。ところがだ・・」
「あ、でた。ところが」
「サントリーニの大爆発だ。あの爆発でクレタ文明もミケーネ文明も一夜で滅んでしまった。100年近くエーゲ海は暗黒の時代に入り込んでしまうんだ」
「サントリーニ島の三日月の形と絶壁でしょ?円形の島の2/3が爆発で消えてしまった事件ね」

「膨大な津波がエーゲ海だけではなく地中海東側レバント海岸、エジプトを襲った。幾つもの都市が消えてしまう大事件だった。出エジプト記に出てくる天変地異も、実はこの事件がベースではないかと言われてる。確かに壊滅的な災害だった。でもフェニキア人は生き残った。そのとき既に彼らはエーゲ海/レバント地方を跨いでもっと大きな植民都市を持っていたからね。フェニキアたちは、主流をイタリア半島シラクサ(シチリア)やカルタゴへ移して、さらに拡大を目指したんだよ。その絶大な精力を後にローマは恐怖した」
「ボエニ戦争へ繋がるわけね」
「ん。フェニキア人とローマの戦いは、紀元前に起きた最も巨大な抗争のひとつだ。でもその前に見つめるべきことが有る」
「なに?」
「地中海そのものだよ。地中海沿岸は、ヒトが済み難いところだった」
「え~だって海が有るのに?漁業が出来るでしょ?」
「地中海は 太古の海だ。パンゲアが裂けて出来た内海だ。だから深い。真ん中は数千メートルある。実はとても海棚が狭い地帯なんだ。魚は海棚しか生息しない。その上、地中海の裂けめがプレートテクニクスで広がったためにしわ寄せで、地面側は海岸ギリギリまで皺が/山が出来上がってしまった。つまり、地中海北側沿岸には殆ど平野部が無いんだよ」
「あ・・そういえばそうね」
「小さな平野地が点々とあって、それを切り立った崖が遮ってる。そして海は漁撈できる海棚が狭い。それが地中海北側沿岸の特徴だ。
だから人々は、海を渡って海岸線を見つけてそこに住むことはできたが、暮らせる人々の数は限られていた。満杯になれば、次の海岸線を求めて開拓者たちが挑む・・という歴史を繰り返してきたたんだ」
「なるほどねぇ、そんな風に地中海を見たことないわ。たしかにそのとおりね」
「だから先住者たちは自分たちの海岸を守らなければいけない。地中海沿岸の都市が要塞都市化する理由は、そのことからもよく判るだろ?
西進したギリシャ人が出会ったのがマルセイユだった。最初にローヌ川を遡ったのはギリシャ人だった」
「フェニキア人じゃなかったの?」
「ん。シラクサより北にフェニキア人は精力的でなかった。むしろ彼らはエジプトからモロッコまで北アフリカの干拓に情熱を込めていたんだよ。彼らがイベリア半島へ入ったのも、北アフリカからだからね。地中海北側は、海まで迫った山と、その間を埋めるだけの海岸線しかない。彼らは興味を持たなかったんだろう。その間隙が有ったからこそ、ギリシャ人が入り込める余地が有ったんだろうと僕は思う」
「なるほどね」
「そのギリシャ人たちが、ここへ葡萄とオリーブを持ち込んだんだ」
「あぁ、ようやくワインの話へ繋がるわけね」



無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました