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ワインと地中海#31/フェニキア人とエーゲ海#03

「地中海へ拠点を移したフェニキア人が最重要拠点としたのがロードスRhodes島から始まるドデカネス諸島ta DōdekanēsaとクレタCrete島だ。キプロス島から西は、此処がフェニキア人の地になった。BC2000年ころだ。上記2島とともにコス島とパトモス島の名前が歴史の中に出てくる」
「無人島じゃなかったんでしょ?」
「ん。先史時代からヒトはいた。考古学者はドデカニサ族と呼ぶ。これをフェニキア人が制覇した。BC2000年ころだ。ここに葡萄畑を起こしたのはフェニキア人だった。極めて先進的な文明を、彼らはここで立ち上げたんだ。・・もちろんレヴァント海岸側にも主要拠点は有った。何れも高い山脈と海岸線で外敵からは守られていたが、それでも天敵となるべき人々は近在に屯していた。ロードス/ドデカネス諸島/クレタ島には、そんな脅威はない。伸び伸びと我が世の春を謳歌できたんだろうな。以降フェニキア人たちが西へ西へと進行していった理由は、ここでの経済的大成功のためだと僕は思う」
「伸び伸び・自由に・謳歌・・それがキーワードだったのね」
「ん。クレタ島のクノッソスを見ても、彼らの技術力/経済力は群を抜いている。ワインに関する技術も彼らがレヴァント海岸から持ち込んだものだ。それを壊滅させたのがサントリーニの大爆発だ。・・天を衝くような津波で、おそらくほぼ一晩でロードスRhodes島/ドデカネス諸島/クレタ島の町は全滅しただろうね。そしてそれをペロポネソス半島を南下してきた原ギリシャ人が自分たちのものにした。そしてその後を鉄器技術を持ったドーリア人が奪い取った」
「ドーリア人って、ギリシャ人でしょ?」
「ん。その一派だ。おそらくだな、海で出てエーゲ海へ拡散したのはアイオリス人だと思う。『アイオリス』はテッサリアの一地域だ。ヘロドトスは彼らは元々ペラスゴイ人と呼ばれていたと書く。鉄の兵器を持ったドーリア人が彼らを平定したんだろうな。アルカイック時代初期までに、ロードス島とコス島を中心にして大きな文化圏を作り上げている。ロードス島にあるリンドス、カメイロス、イアリソス。そしてコス島、小アジア本土のクニドスとハリカルナッソスの都市合わせて、史家は『ドリアン・ヘキサポリス』と呼んでいる。じつはこの地域はローマに吸収された後も大きく栄えたところだ」
「すべてサントリーニの 大爆発のあとなのね」
「ん。あの"三日間の悪夢"は、モーゼの出エジプト記にも出てくる大厄災だ。遥かに離れたエジプト沿岸部にも毒ガスや粉塵が降り注いだそうだ。エーゲ海沿岸/島々は甚大な被害を受けただろうな。当時。原ギリシャ人となる部族たちは夫々西から北から流れ込んでいて、先住民を制覇して定住していた。後から入り込んできたフェニキア人たちは、海岸部だけに植民地を作っただけだったから、ある種棲み分けをしていたに違いない。そこにサントリーニの大厄災だ。海岸部は完全に破滅した。原ギリシャ人にも大きな被害はあっただろうが内陸部の人々にはそれほどではなかったはずだ」
「全滅した都市に、内陸部の原ギリシャ人が入り込んだわけね」
「ん。はっきりとその痕跡がエーゲ海沿岸部には残っている。ペロポネソス半島東海岸レルナが典型だ。燃え尽きた都市の上に新しい家・墓地そして異質の陶器などの生活用品が折り重なって発見されている。・・おそらくだが、新しい持ち主・原ギリシャ人とフェニキア人は、間違いなくそれ以前から交流が有った。原ギリシャ人は灰燼の町/無人の町へ流れ込んできたわけじゃないと僕は思う」
「どうして?」
「彼らが使っている言葉には、彼らの用語じゃないものがとても多いんだ。地名や人名はサントリーニ大厄災以前に此処で暮らしていた人々のものなんだよ。例えば、コリントス/ティリンス/アテナイは、彼らの言語様式じゃない。専従者たちが使用していた呼称だ。アキレウス/オデュッセウスも、そして神話に出てくるミノスやラダマンテュスそしてペルセフォネもギリシア語じゃない。それどころか小麦/葡萄/イチジク/オリーブ/百合/薔薇/ジャスミン/マヨラナなど栽培物も
多くがギリシャ語じゃない」
「すべて先住者/フェニキア人のもの?」
「ん。厳密に言うならばフェニキア人を含む先住者のものをそのまま頂いた言葉だ。
そして何よりも大事なのは陸の民だった原ギリシャ人が海洋民族へ変遷するのは、この時からなんだよ。彼らの海事/航海術/造船技術はこの時からフェニキア人から受け継いだ。タラッサもポントスも、海という言葉はギリシャ語出自ではない」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました