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葛西城東まぼろし散歩#06/北砂町03

丸八通りから砂町銀座に入った。砂町銀座は明治通りに向かって走る商店町で比較的長い。日曜日なので、どうかなと思ったが意外のほか開いていた。ただし中華系が多かった。
嫁さんが興味津々で色々総菜類を買い占めていた。ウチのブンというよりスタッフの夕食分だな。
「みてみて、焼きそば180円よ。どうみても400円分は有るわ!」と大喜びしてた。ひとしきり買った後、通り半ばにある珈琲館に入った。
「珈琲館がまだあるのね!いつのまにか木挽町は無くなっちゃったけど」
定番のホットケーキが健在だった。いいなぁ~こういうの。「らしさ」はちゃんと「らしさ」として残してほしいと思う。どっかのでっち上げ老舗もどきとは違う。・・美味しいか?って。はい美味しくは有りません。美味しくなくたっていいんです。そのまま残るのが、町の文化なんです。
「マンハッタンを歩いていて、今でも残っているダイナーに入るとウオルドルフサラダが普通に乗ってくるだろう?あれだ。あのシャキッとしたリンゴのサラダを食べると、一瞬にマンハッタンの景色が浮かぶ。あれさ。あれが町の味だ」
「あら、ずいぶん激賞ね。岩本町の万惣が無くなって以来、暫らくぶりのホットケーキ礼賛ね」
コーヒーもベンダーではなく布のネルで取っていて普通にまっとうだった。
ベンダーはよくない・・という当店もベンダーだけど。自分用と御もて成し用には自分でMerita使うけど・・ 

ホットケーキが終わってコーヒーのとき、嫁さんが番所資料館で買ってきた資料を広げた。地図を見ながら言った。
「そう言えば・・砂町って大きいのね。このあたりだけのような気持でいたけど」
「町屋は北砂町が多い。町工場も前はたくさんあったしな。賑やかしなのは北砂町だな。でも砂町は海の方から始まったんだ。街はいまの南砂町のほうが古い」
「へぇ」と、あまり興味はない。「葛西橋のほうでしょ?大きな団地があるわね」
「ん。ここを開拓したのは三浦半島にいた砂村新左衛門という人だ。当時、宝六島という中州が有ったんだ。彼は幕府に申し込んで、其処を一族郎党を引き連れて開拓したんだ」
「三浦半島の人?ということは漁師さん?」
「ん。おそらくな。江戸湊の小魚を獲ってそれを中央に送ったことから始まった。江戸開城から半世紀くらい経ってからだ。だから小名木川は完全ではないがあった。砂村新左衛門は船を使って日本橋まで商いに行ったんだよ。これが上手く行った。それで砂村一族は宝六島よりもっと陸地に向けて開拓を進めたんだ」
「浜から離れてくでしょ?」
「ああ、でも畑は作れる。おそらく砂村一族は半漁半農だったんだろうな。畑で出来た菜類は同じく船で日本橋へ運ぶ。こうして瞬く間に彼らの土地は拡大化したんだ。おそらく民間で立ち上げた新田としては最大級だったろうな。砂村新田と呼ばれた。明治の御世に周辺は他に併合されたが、かなり多くがそのまま残って砂村になり、そして砂町になったんだ。経済循環が優良だったんだろうな。砂村は江戸近郊の野菜作物として秀逸だった。面白いのはね、地の野菜がないだろ?もともと埋め立て地だから。だから、江戸に参勤交代で来てる地方の種を仕込んだんだよ。江戸ものとしてね。これが大当たりした」
「それってすごい発想ね。」
「ん。有名なのは、つまみ菜、亀戸大根、砂村葱、西瓜砂村丸茄子、針ヶ谷胡瓜、砂村南瓜なんか・・だな。砂村の特徴は促成栽培なんだ」
「促成野菜?」
「砂村のひとつ、中田新田というところに松本久四郎という農家がいた。今の東砂6丁目あたりだな。促成栽培は彼が始めた」
「江戸時代にビニール栽培!?」
「まあ、そこまではいかないが・・地面を温めたんだよ。江戸東側は葦原を埋めた埋め立て地だからな。地味は低い。それを江戸市中の人糞を買ってきて肥料して使ったんだが・・松本久四郎は気が付いたんだ。所謂魚市場で出る魚のアラや切り落とし「江戸ゴミ」と言われる奴だ。アレに水をかけて放置すると発酵で熱が出るんだ。松本久四郎はこれを温床として野菜を植えたんだ」
「ビニール栽培で?」
「温床にな、苗を植えた後、これをひとつずつ油紙で覆うんだ。寒いときは畑に炭火を置いてな温室化するんだ」
「シャブリ村の畑みたい!!」
「そうだ。シャブリ村は寒冷地だから真冬は土地が凍る。凍れば葡萄はひとたまりもないからな。冬はいまでもランタンで土地を守るんが、アレと同じことを300年も前に松本久四郎は実行したんだ」
「・・すごいわね」
「おかげで旬が夏だったナス、きゅうり、いんげんを3月までには出荷できたんだ。これが江戸市中で大評判になった。なかでも砂村丸茄子な。これが一番だ。実は僕が知ってる砂町の農家は促成栽培だったよ。砂町の促成栽培はこの街のシンボルとして、ずっと残ってきてたんだ。・・いまはない。いまは全部工場になって、それが団地になった。
砂村は かっぱで暮れの 尻をふき、って古川柳が有る」
「かっぱ?」
「かっぱはキュウリのことだ。夏のキュウリが冬でも作れるから、その代金で12月の大晦日の払いができるってわけさ」
「とんでもなく偉い人なのね。松本久四郎さんって人」
「ああ。ちなみに仙台堀川にかかってた松本橋は七代目松本久四郎が架橋したものだ。・・そうだ。少し戻るが、この並びだから、ちっともどってみるか」
「・・いいけど。今日はずいぶん歩いてるんじゃないの?」
あ・そりゃそうだ

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました