見出し画像

夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩5-09/バスを使ってジュヴレ・シャンベルタン歩き#09

https://www.youtube.com/watch?v=Cb_-breVk8o

ディナーはホテルで済ませた。
嫁さんのたってのお願いで白がでた。
Domaine Christian SerafinのBourgogne Chardonnayである。これは珍しい。

シャルドネだから嫁さんは気に入ったようだ
「新樽の魔術師という生産者だ。赤はボトリングするときに清澄と濾過をしない。荒々しくてパワフルなワインを作る。彼の白だ。AOCは白ワインを認めていないから、名前は"ブルゴーニュ"だな。でも凄い自信に満ちたシャルドネだな。AOCなんぞ、どっかに飛んでいけ!という勢いだ」
「あら、そんなに褒めるなんて・・今日はくたびれたんじゃない?。赤は頼むんでしょ?」
「もちろんメインは肉だろ? Christian Serafinにする。紅白飲み合わせだ」

https://www.wine-searcher.com/find/serafin+pere+le+fonteny+gevrey+chambertin+premier+cru+cote+de+nuit+burgundy+france/1/france

「大昔、ベルタンBertinという農夫がいた。かれが此処でワインの生産をした最初の人だ。」
「いたの?」
「判らない。"いた"という伝説だ。とにかくいた」
「はいはい」
「それで彼が作ったワインは"l'Champs de Bertin"つまりシャン・ベルタンと呼ばれた。つまりベルタンの畑"the fields of Bertin"という意味だな。ここで作られたワインはずっと"l'Champs de Bertin"と呼ばれていたんだ。
ナポレオンがこの地に砲兵として赴任された18世紀もそう呼ばれていた。
ナポレオンはワインを"l'Champs de Bertin"しか飲まなかった」
「ほんとは好きしか嫌いとかじゃなくて、ナポレオンは習慣の人だったからでしょ。一つ決めたら、ずっと変えない人だったからからでしょ」
「そうなんだ。ナポレオンは酒に弱かった。だからいつも"l'Champs de Bertin"を水で割って飲んでいた」
「あら、ギリシャ人みたいね。プラトンみたい」
「このナポレオンのおかげで"l'Champs de Bertin"は唐突に有名になってしまったんだ。ミネラル感の高いどちらかというと荒々しいピノとしてね。その男性的な風味にナポレオンが魅了された・・という風潮でね。唐突に、貴族やブルジョアたちが好んで買うようになったんだよ。それに気をよくしたオヤジがいた。ジュブレ市長だ」
「有名な人?」
「別に彼は有名じゃない。でもジュブレという地区は古くからあった。まさに修道士が命を縮めて作り上げた土地だからね。gevreyはラテン語の 山羊gibracusのことだ。彼らはGibriacumと呼んでいたんだよ。山羊しか育てられない土地という意味だ。修道士がこれを開墾し、葡萄畑にした。それがクロ・ド・ベーズClos de Bèzeになった。いま旧市街にあるジュヴレ城Le château de Gevreyがそうだ。1257 年にクリュニアック修道士が建てたものだよ。gevreyは、当初Gevrey en montagneと呼ばれてた。ジュブレの山という意味な。
区画で云うと、"l'Champs de Bertin"はこのGevrey en montagneの西南部だ」
「あ~わかったわ。ジュブレ村より、その一部だったシャンベルタンのほうが有名になっちゃったのね」
「そうだ。ジュブレ市長が色気を出したわけだ。1847年だ。彼は伝統ある「山のジュブレ」に「ベルタンの畑」をくっつけてジュヴレ・シャンベルタンにしたんだよ。・・不動産屋が有名な街の名前を使って北XXとか南XXとする、アレと同じようなもんだ。ナポレオン三世のパリ博が迫っていたしな。ベルタンの畑じゃなくて、周辺の畑も肖って有名にしたかったわけだ。そして今のジュヴレ・シャンベルタンという大きな地区になったわけだ」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました