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夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#12/シャトーヌフ・デ・パプ02

https://www.youtube.com/watch?v=x0FBMH5ViZY

Château des Fines Rochesはいい意味で、いまの完備されたホテルサービスというより、まるで民宿みたいな様相だった。部屋に入るとベッドメイキングが終わってなくて、(オーナーかな?)慌てて「いま娘を呼ぶから、ラウンジで待っててくれ」と言われた。快諾してホテルの庭のテーブルに付いて待ってたら、笑顔で白ワインを出してくれた。ここの畑のものだった。

「すごいお城ね。昔の王様の持ち物だったの?」
「いや違う。新しい。1880年代のものだ。まあ150年は経ってるが」
https://chateaufinesroches.com/fr/timeline
「ここのレストランは秀逸らしい。それで選んだ」
「南仏って、どこも良いわね。私と肌が合うのかしら」と嫁さん。「外れたことないわ」
・・というか・・僕が外したことないンだけど・・それは黙ってた。
たしかにハーブ系をふんだんに使ったスタイルはイルドフランスのトラッドなフレンチとは別なものだ。それがお好みなのかもしれない。・・そう思った。


荷物が置き終わった後、もう一度フロントの前、庭のテーブルに出た。嫁さんが城を見上げた。
「あ、フロントの真上なのね。隣は誰か居るのかしら?静かだったけど」
嫁さんがワインを手にして、丘の下を見回した。
「全部、畑なのね。どこまでがここの畑なのかしら。あ、自動車が走ってる道が見える。あんなところから丘を昇ってここまで来たのね。後で歩くでしょ?」
「ん。村まで行くには歩くしかなかいからな」

「ふうん。シャートー・・ヌフ・・デ・パプでしょ。パプの新しいお城でしょ?パプって教皇のことよね」
「ん。此処の名前はカストノボCastronovoが初見だ。1094年に書かれた史料にその名前がある。最初に言及したのはローマの歴史家ポリュビオスPolibioだ。

パプがバチカンから越してくる前から『新しい城』という名前だったんだよ」
「1000年前に"新しい城"だったの?」
「ローマ人が建造した新しい要塞ということだろうね。この辺りは紀元前後からアロブロゲス族 alóbrogesが西進して入り込でいた。彼らは既にワインを作っていた。

とても自立心が強くて。圧倒的な武力を持っていたカエサルの「ガリア侵攻」時にも強く逆らった人たちだ。ハンニバルの象軍団がローマへセロ込んだときも援助して、ローマに仇なした人々だしね。勇猛な好戦的な人々だったらしい」
「そんな人たちがワインを作っていたの?」
「アロブロゲス族が持ち込んだ葡萄は耐寒冷種だったんだ。アロブロジカ種という。いまのシラーの祖型だ。ワインは貨幣の代替え物として当時は盛んに利用されていただろ?でも地中海以北ではイタリアの葡萄は育たなかったんだ。温暖種だからな。それとミストラルがある」
「地中海に向いて吹く強風ね」
「ん。ローヌ地域はゼヴェンヌ山脈とアルプス山脈に挟まれた谷だ。そこを地中海に面して吹く強風だ。始まると瞬時に気温は10度以上下がって風速は50km/hから、時には100km/hにも達する。日本語じゃ"おろし"颪というな・・国字だ」
「国字?」
「日本製の漢字ということ・・靡く(なびく)𭫞(かえで) 𭘴(ずきん)𭿗(おじる)・・みんな国字だ」
「全然、読めないわ」
「ん・読めないな。国字は和の文化だ。漢才洋才そして和魂を備えるのが日本人の素養だったはずが・・それを明治政府は否定している。やつらが欧州支配者の傀儡だと云われる理由の一つだ。奴らは文字ごと日本を破壊している。廃仏毀釈に乗じて従前から在る地祇を抹殺させた"神殺し"・・それとヤマト心を握りつぶす"文字殺し"がここ150年ヤマトまほろばでやられている事さ。安倍ちゃんは巧く立ち回ってこれ以上の蚕食を躱そうとしていたが・・どっから来たゴルゴ13モドキに殺されちまうし、その後はベンチャラお小姓坊主ばかりだし・・ああ、やめよう、その話は。
・・ミストラルは北西から吹く颪だ。南東からのものはシロッコという。ちなみに東風はレヴァンテ、西風はポニエンテ、南風はオストロ、北風はトラモンターナと言うんだが、それぞれ名前を変えるほど重要な生活の要だったんだろうな。ローヌは全てこの風に吹きまくられる。だから南方温暖種の葡萄はひとたまりもなくやられて育たなかったんだよ」
「・・ああよかった。和魂漢才の話にならなくて」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました